星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

ask解答:EPCOTIA現場の「madoromi」について

madoromiのサビの音程が音源、少プレ披露からアリーナツアーまでの間の調整で 「♭シー♭ラーソー♯ファソー♯ファソー♯ファ」(完全な♯ファでは無いかもしれないですが)から 明らかな「♭シー♭ラーソーファソーファソーファ」に変わってしまったことについてもちさんはどうお考えですか? 現場に入る度に、私は音源の音程の方がどうしても好みで、madoromiが大好きなのに「音程戻して欲しいなぁ」とばかり考えてしまい、十分に曲を楽しめていない気がしてならなかったです。

 

askから質問をいただきました。
これを見たときに思ったのは「とくに気にしてなかった!質問者さんすげえな!ちょっと気にして見てみよう(ΦωΦ)」でした。

まあいつもいろんなところを気にしてるわたしなので他人さまのことはとやかく言えないんですが。

なので、質問に対する答えを端的に言うと「気になりません」です。

あれか、質問者さまはわりと絶対音感があるのか、……いや違うな、あれだわ、「CDの通りが好き」ですか?
だとしたらますだくんの2サビ前*1も気にならないですか?
わたしさっき円盤見て「そこ気にならないのか気になる」とあなた様に想いを馳せてしまいました。

余談はさておき。

現場でしみじみと考えていたのは「あの曲をオーディエンスがいる中で再現するのは難しいんだなあ」ということでした。
わたしはあの曲をいまだに「永訣の朝」と呼んでいますが、あのぴんと張り詰めた朝の、つめたくてすこし痛い、そして朝霧のにおいがする空気がとても好きです。

ただそれを現場、つまり「生きてる人の熱気が渦巻く場所」で再現するのはとても難しいのだなと考えていました。

とりわけNEWSなものだから、生(せい)のエネルギーが強いんですよね。そこに彼岸、つまり死の世界に触れる曲を存在させること自体がおもしろい試みだなと思っています。

でもこのあとがチャンカパーナからのマシンガン乱れ打ちゾーンだと考えるとここで一度死んでて正解なのかなとも考えます。

質問者さまのおっしゃるように、音源は半音、現場はほぼ全音の関係ですね。
ただ、あれかな、吹奏楽とかやってるとわかるかもしれないんですが(この手の質問は経験者が多い、という根拠により)、半音ってたまに音が「混ざる」じゃないですか。
しかもmadoromiはスローな曲です。しかもホールです。どう音が跳ね返るかは現場次第です。

人がたくさんいる中で鳴る音のうち、もっとも聞き取りやすい音程、

が、円盤にもあり、現場で聞こえた、「ほぼ全音のもの」なのかもしれない。

……
と、ふと考えました。
というのも、現場ではぼんやりとその難しさに加えて「音が広いな」と思ってたからです。

広い、というのは感覚的なことです。幅が広いとかなんか、こう、広い。イヤホンを耳に入れて聞く空間と人が何万人かいて反響する空間とは奥行きがまったく違う、そういう「広い」です。制御はとても難しかろうと思います。ピアノだってペダリングなどで自宅レッスン室ホールその他調整してましたから、わかる気はします。 

 

「十分に曲を楽しめていない気がしてならなかったです。」

 
そうかあ。
じゃあ、なんで楽しめていないか考えました?
わたしの仮説はあっているかを検証することはできません。絶対に憶測の域を出ません。それは状況が検証を許してくれないからです。
だけど、考えることはできます。
もし考えてたなら、その仮説も一緒に送ってもらえたらよかったかもしれません。そしたら併せて考えることもできます。

何が好きで何が嫌いで、楽しい楽しくないも音楽の「自由」の中に含まれますので、楽しめていないという考えもアリだと思います。

ただ、根拠が薄いので共感はしづらいです。

どの曲もそうだけど、音程より大切なものがあるはずで、そこに耳を澄ますのが楽しみ方の本質じゃないかとは思います。音程ありきのところもあるし、半音の音程にしかない良さって絶対あるのもわかってて、なお思うのは曲の解釈の深さです。

解釈がなければ、表現も存在し得ない。

最後のサビの手越祐也カタルシスと音の伸ばし方はCDと違うけれどとてもうつくしいです。わたしはそれを大切にしています。

結論を再度書いておきますね。

「音程が変わったことに関して今回はとくに気にならなかった。理由としてはそれ以上に考えるものを提供してもらったからではないか、と内省します」

*1:「かなしみなんて ほしにまぎれて」のこと