星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

“ or このままSecret? ”

歩いていく。少し寒い。いつもの場所に向かう。

通ってきたところを振り返り、見下ろすと、“誰でもないあの子”がたくさんの人に囲まれている。たくさんの灯りを、向けられている。

 

「わたしの灯りは、これひとつだけ」。

彼女と同じような色で、同じようなものだけど、わたしはそれを直視はしない。わたしはそれが無くとも、強い。

 

でも、彼女は、わたしよりも灯りの数が多いのだわ。

 

あの子は、じゃあ、“誰”。

 

下を見てみる。あれは誰だろう。よく知っていると思っていたのに、知らない人なのだろうか。わたしはここにいる、あの子はあそこにいる。わたしが下に向かえばあの子は遠くに行ってしまう。

 

ねえ、あなたは、誰。

 

手が触れる。同じように動く。でも目は合わない。当然ね、わたしからは見えないもの。

(でも、じゃあ、あなたからは見えているの?)

 

パンプスを渡される。まるでシンデレラみたいに。

 

――これはそもそも、“あなた”のものでしょう?

 

わたしの?

 

――そう。今“返還”したその靴は、あなたのものよ。ここから先はもうそろそろ、“あなた”の本当の話をしてもいいんじゃない?

 

わたしのもの? ……ああ、でもそうか、“コレ”はわたしのものなんだ。

じゃあ、わたしは、“あなた”でもあるの? わたしは、“誰”だったの?

 

だったら、ねえ。

“Don’t believe in me”、わたしを信じないで。

“Don’t believe in me”、この取り繕ったわたしを。

 

でも、

 

Don’t believe in me ――“わたしを信じて”

 

――「氷温」

 

取り繕った わたし を溶かすのは、わたし の 声。

 

******

 

……と、いう話があったの。

ね、わたしいま、灯りをひとつだけ持っているでしょう。そういう話を、わたし、知っているのよ。

 

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個人的に考える重要なフックは

 

  • 最初にいる高さが違う(また、最後も)
  • 音源では女声だった最後の「氷温」を、現場では歌い手本人が発音したこと
  • 目隠し状態であること

 

あたりになるかと。

 

お久しぶりのエントリです。

思い返せば、EPCOTIAはすごく久しぶりに参加回数の少ないツアーとなってしまいました。要因にはデジチケ等々ありますが、個人的に回数に関しては、後悔していません。

 

とても楽しかったのがやはり『氷温』でした。現場でも何回も「クセになるううう」と悶絶していました。最高にゾクゾクするよね…。

なんならクラウドを通して公式から“喧嘩売られた”状態*1というのがとてもおもしろいですね!

 

ただ、友人とは楽しく話していたのですが、「意味わかんない」という声も見かけていたし、話した内容を小出しにしても何の反応もないので、まあいっか~~友だちと話しておけば、というモードでした。

 

が。

 

拾う方がいたんですねえ……奇特なことに。『氷温』に対する考え、聞いてみたいって。

 

「売られた喧嘩は買う」「言っていいのは、言われる覚悟があるやつだけ」「歩く週刊少年ジャンプ*2」なわたしであり。また、その「同じ土俵に立ってくれた」ことに敬意を表して、逃げずに回答しようと思います。

 

せっかく公式が「解釈自由」って言ったのに、戦わないなんてもったいない。
※時間を置いたのは、さんざん友人に愚痴ったストーカーの件と、単にツアー中はやめておこうと考えたからです。

 

また、注意点として、ここしばらくシゲ部は聴いていません。いろいろ見落としているかもしれませんが、「何も知らないもちを」の、初見時からそうそう変わっていない思考トリップです。

 

 

1.最初にいる高さが違う

 

これは初見時から大きく注目していた点です。

シゲアキをA、目隠しさんをBと呼ぶとして、その最初のポジションは、Aが坂の上、Bが通常の高さ。そう、そもそも階層が違うとはこれいかに!

単純に考えると、Aが高位にいる、ということです。精神的なものか。この場合はおそらく精神的なものでよいかと考えますが。

となると、AがBのことをどう見ていたかがわかるのではないかと考えます。

 

そしてまた、重要なのはそこだけではない。

おそらく(中央で踊ることによって観客の目線を引き付けておいて)、最後、「氷温」と言うときにAとBの場所が入れ替わった。このことも大きな意味があるのでは。

 

主導権の移動、もしくはそもそも主導権が(Aではなく)Bにあったのでは? とも思わせる演出。

 

ちょっと古いですが、宇多田ヒカルちゃんの「Can You Keep A Secret?」のPVがこんな感じに作られていました。すごく好きです。昔からこういうの好きだった。

※公式があるようなので、気になる方はこちらへ。

youtu.be

 

というわけで、もう一歩踏み込んでみましょうか。

 

 

2.「氷温」の声の持ち主 

 

そもそも、歌い手、作り手が「加藤シゲアキ」であると、もともとわたしたちは知っています。

でももしかしたら、これこそがミスリードなのでは、とも思ったのです。これ、今回考えるにあたって、最も自分でもぶっ飛んでると思うのですが、これがあるからこそ“物語性がある”と思える部分。

 

歌詞の一人称は「僕」ですが、あの曲、明確に「男性のもの」でしょうか?

 

 

3.ネスト(千夜一夜物語) 

 

物語を構築する上で定石なのがこの“ネスト”だと考えます。簡単な例としては、シェヘラザード……「千夜一夜物語」です。

あれは「物語の中の物語」。アラジンなどの物語はすべて、王様をなぐさめるためのシェヘラザードの創作に他ならない。

そして、わたしたちはそのまた、外側にいます。

 

もし、この方式を適用するのなら。

 

【内側】
「そういう二人がいた」(歌詞)

その話を知っている人がいる(現場での演出・演者)

それを作った人がいる(作り手・歌い手)
【外側】

 

というような階層構造もありではないかと思うのです。

 

氷温は男性の歌です。一人称がそうだから、作った人が男性だから。

でも、「氷温」は女声です。

 

ならば、こう考えてもバチは当たらないのではないか。

 

“女の人が作った「男性目線の曲」を、たまたま、「男性である加藤シゲアキの声で歌った」だけで、もしかしたらあの「氷温」の声のまま、さらに外側には女の人がいて、その人の曲なのではないか”

 

そしてそれが、Bなのではないか。

※これが、最初に書いていた部分の口調が女性のものだった所以です。

 

……そしてそれを作っているのが、加藤シゲアキなだけなのではないか。

(と、これを言ったとき、友だちが一瞬ホラーを見たような眼をしたのをわたしは忘れませんが。笑)

 

「チュベローズ」がダントツわかりやすい例だと思うのですが、しげあきの一人称の使い方って実に巧みなのですよね。

光太、光也、どちらが言ったと明示しなくとも、一人称では齟齬が起きないのですよ。これ、怖いと思いませんか。ものすごくコントロールされている。

 

言葉の量ではない部分で*3、読み手の思考をコントロールする。最高にカッコイイ。ゾクゾクする。

 

 

4.主導権のありか 

 

わたしが「ESCORT」のPVを好きな理由に、ひとつの「エスコート」という単語を多面的にとらえ、多角的にアプローチしているという点があります。

現場では、ホテルマンが、

PVでは、自分を自分で、

――エスコートする、と、これは明確に作者が発言していたなあ、と、今でも思い出すたびにわくわくします。

 

ならば、たとえば、「チャンカパーナ」のPVがそうであるように、切り口って無限大なのではないか。

 

たまたま、ほんとうにたまたま。

今回の演出がAとBを使ったものであっただけで。

「氷温」という歌の世界を表現する方法って無限のはず。

 

前述したようにチャンカパーナのときのように、「テレビの中に映るもの」(と、それを見ているひとがいるかどうか)、という手法もあったのではないか。

 

ひとつの「氷温」という話を、どの場所(パラレル)、どの時間軸(過去現在未来)、どの立場(性別、年齢など)で作るか。

組み合わせ次第でその方法は星の数ほどに無限だと思うし、もしかしたらここあたりが着地点なのではないでしょうか。

 

 

5.目隠しとパンプスの意味 

 

さて、わたしが入ったのは福岡・広島公演でした。

で、みんなほら、ネタバレしないから。サングラスの存在を知らなくて。

だいぶ遅れて知ったときは、福岡公演に一緒に入った友だちに「こういうアイコンあったらしいよ?!!!しぬ!!」のテンションでLINEしましたよ。

そんな! 重要な!! アイコンがあったなんて!!!

 

最初に重要なフックのひとつに「目隠し」があると書きましたが、サングラスはそれの対だと考えます。

検索したら「顔見えないのがっかり」という結果が多くてそれにがっかりしたんですが正直。いや、そんなわかりやすいアイコンであるならいっそ外したほうが正解なんだろうな! と興奮気味に思いました。

 

目元が見えないことを共通に持たせてしまうと、考える幅が狭まる可能性があるのでは、と考えたのです。または、わかりやすいことがイコール正解ではない、という正解もあるかと。

……あとはふつうに顔見えたほうがいい、と本人が判断したのかな、と*4。どちらにせよ正解だと考えますけども。

 

パンプスは単純に「本性」「本意」「自我」とかそのへんだと考えます。なので“返還”と。
※最初ここ抜けてたと指摘いただきました。ありがとうございます。

 

 

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と、長々と書いてきましたが、おおよそ言えるのは、「戦わないともったいない」ということなのではないでしょうか。

 

ものを作るということはとてもワガママな作業です。

感想は欲しい、けれど、自分の考えとあまりにも乖離していると、赦せない。

そういうことを言い出すのが作り手であり、作り手である以上それがないと作り手にすらなれない。

 

たとえ解釈が間違っていて、公式にボッコボコにされても、それをやらないとつまらない。

 

考えて、考えて、表現して。どれが正解かわからない。

そういう“多様性”の中で、“自分を肯定する”ことが、もしかしたら、生きるということなのではないかと思うのです。

やらないほうがもっとわからないし、つまらない。

今回、そこから怠惰ゆえに逃げようとした“わたし”を呼んでくれた方に、この場を借りて御礼申し上げます。

 

 

 ******

 

――っていう妄想よ。残念ね。信じるか信じないかは、“あなた”次第だけれども。

 

*1:「解釈は自由」発言

*2:それは羽生結弦。わたしの場合は喧嘩っ早いだけ

*3:今回言葉数減らしているのは触れていたはず

*4:顔の良さを自覚しているだけに