星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

ask回答「それたぶんPDCAじゃないかな」

面白い質問がきたので、メモがてらエントリしておこうと思います。若干修正もしています。

こんばんは。もちさんのブログを読んで、新たな発見をして、いつも良い刺激をうけています。そこで聞きたいのですが、歌が上手い、ってどういうことだと思いますか。わたしの場合、技術面と、いかに歌詞を伝えられるか、ということかな、なんて思ったりしているのですが、もちさんの考えを教えてもらえたら嬉しいです。 

 

ご質問ありがとうございます。
歌が上手いとはどういうことか、ですか…ふむ…

まず、今回の定義として持っておきたいのが、歌=歌詞がある状態です。質問者様は歌詞ありきで質問されてるようなので、こう要件定義しますね。

さて次に、「技術面と、いかに歌詞を伝えられるか」とありますが、そもそもこの二つは分ける必要がありますか?

「“いかに歌詞を伝えられるか”という“技術” 」ではなく?

となると、全てを切り分けるのは難しいのではないのでしょうか。


根本的に、なんであろうと、技術です。コピーライティングでも、溶接でも、化学実験でも、器械体操でも、小説を書くことでも、まず必要なのは技術です。いきなりやってできる場合、それは向き不向き、個人の特性によるところが大きいのだろうと思います。
しかしそれ以上にものをいうのはやはり、技術です。時間とともに積み重ね、理解し、ブラッシュアップした技術です。

技術がなければ、表現したいといくら思っても、表現技法が追いつかないんです。

とはいえ、「荒削りだけど心に響く」というものもあります。
これは、技術面が足りない部分があっても、「この曲はこういうものだ、こういう風わたしはしたい!」という気持ちが伝わってくるからですね。わかりやすい例がてごちゃんの現場版の『あなた』です。(disってない。褒めまくってる)(過去ブログ参照されたし)

心がなくては機械でしかなく、心があっても技術がなければ心を表現するには足りない。
両方あってこそ技術面と言えるんだと思います。

じゃあ何が必要なのか?
話題の小説『蜜蜂と遠雷』にもありますが、よくクラシックの現場では“解釈”という言葉を使います。
普通に使いすぎていたので、あらためてこれはなんなのかと考えたのですが、おそらくこれが、“理解力”ではないかと考えます。

この曲は何を伝えたいのか、わたしは何を表現したらいいのか、その強弱(取捨選択でも良い)、そしていま演奏したこの音をどうしたらよりオーディエンスに伝えられるのか。
理解すること。そして、それを繰り返すこと。
これが解釈です。


NEVERLANDの個人的初日だった福岡の後、友だちとよく話していたのが「今年は聞き手の理解が早い」ということでした。つまりそれは、演者側であるNEWSが “深く理解して、わかりやすく伝えられている”からこそです。

理解しなければ、相手に伝えることもできません。うまいピアニストほど簡単そうに弾く、ということの理屈はここだと考えます。理解しているからこそ、難しいことをわかりやすく伝えられるんですね。
それは前述したように、コピーライティングでも、溶接でも、化学実験でも、器械体操でも、小説を書くことでも同じです。

時間とは経験です。今回のNEVERLANDの成功において大きな要因となったのは、本人たちも言ってますが、少プレの力によるところも大いにあると思います。
NEWSという内輪だけではなく、他のアーティスト、プロデューサー、つまり外部の意見とぶつかりながら月に一回音楽を披露する。これが時間という経験です。
技術は、時間という経験値が、その人に付随したものです。

でもやっぱり、漫然と時間を過ごすことがイコール経験値が上がるにはならない。そこは、理解したい、変えたい、うまくなりたい、という気持ちの問題なんですよね。
理解し、変え、またそれを分析し、ブラッシュアップする、その繰り返しを行えるかどうか。

……………。
お気づきかもしれませんが。
これ、PDCAサイクルなんですよ………無駄をなくし効率化することが、理解であって、それが上質な表現になるんですよ。
ものすごく芸術性とかけ離れたような言葉を使いますが、まさにPDCAなんです。

※ちなみに、効率やらマーケティングについて近年いちばんわかりやすく話しているのはチュムチュムのPVです。当時のわたし歓喜っぷりといったらない。


長々とへりくつを並べてきましたが、さて、課題に戻ります。

歌詞を伝えられるかどうか、というのは、まず、歌詞を理解する気があるのかどうか、が必要です。気がある、というよりもそもそも、“歌詞を理解する必要性があることを知っている”が近いかもしれません。
先日テレビ番組で、「審査員が出場者に歌詞を読ませたが、それができなかった」ということがあったそうですが、それこそがいちばんの問題です。漫然と、なんとなくやってて、何が実現できるのか。
ここが理解力のなさです。

それを、技術として、身につけられるか。
「このコンサートではこういうことをやりたい」だけではなく、「こういうことをやりたい、だから、こういう工夫をしてきた。だからさらに意見を聞かせて(オーディエンスの反応を見せて)欲しい」という、“提案”と“ダメ出し”を繰り返していけるか。

その果てなきPDCAサイクル……もっとポエミーに言うと、果てしなく、自分や世界に対し、問いかけを続けられるかどうか。

それができて初めて、歌が上手い、って言える、その根拠になるのではないでしょうか。
要件定義してみたものの、定義づけする意味があまりなかったです。でも、定義づけする必要がない、ということなのだと思います。

音楽は時間です。空気の振動です。鳴った瞬間に消えはじめます。止めることはできない時間の中で、瞬時に表現し理解し、それに合わせて次の表現につなげる、………これは特に今回のU R not aloneでしげあきがやってたことではありますが、これが音楽の特性でもあります。

これらをすべてひっくるめて、理解して、自問して、提案し続けることが、歌だけに限らず、『演奏がうまい』ということなのではないかなと、思います。
ひいては、すべての表現においても。