星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

memo

わたし、現場が好きです。
現場で友だちが、もちをどこー、って言ってくれたり、あ、いたー!って予告もなしにすれ違うといった、ふとした瞬間が好きです。

そんな中、今回のツアーでは、名古屋と和歌山はもともと行かない予定でした。和歌山27日はぶっちゃけ落選してますけど、でもキャパが狭いし、和歌山遠いなあ、という気持ちもあったので、当落に負けたな、という気分で受け入れてもいました。

そもそも行くなら大阪! とは思っていたんですが、仕事の事情などもあり友だちにチケットを託すことに。(その節はみんなありがとうございました!)
変化があったのは、大阪公演明けた朝。
駅に着くころ、駅舎を見上げて思ったんですよ。

「名古屋、行ったほうがいい気がする」


いちおう13日のホテルは解約していない。だとしたら3公演中どれでもいい。名古屋なら何度か泊まってるから勝手もわかる。
なにより、行けとわたしの勘が言う。

わたしは根拠のない勘をそこそこ大事にします。こと音楽に関しては本能みたいなもんだからです。

アテはなかったです。一週間切ってた。でも、木曜の夜に日曜夜公演、前日土曜の夜に日曜昼公演、それぞれ声をかけていただきました。本当にお二人には感謝しています。

名古屋日曜はみなさんご存じのとおりです。
終わったとき、譲って下さった方が「よかったですね、シゲ担なら今日入れてよかった」って言ってた顔がなんでか忘れられない。
わたし泣いてはないんですが、あのときのツイートはまさに、「何に感謝したらいいかわからない」でした。その思いを抱いたまんま会場の外に出て、友だちに会ったり、夜のチケットもらったりしながら、すごくいい天気の中で、この自分に何ができるだろう、この感謝をツイートする以外にいま、この場で、伝えるには何ができるだろう、と考えて、ああそうか、今日この昼公演のあとに緑のグッズが売れることだ、と閃いてからそのまま売り場に直行し、ポスターとクリアファイルを購入しました。
ちょっと残念なのが給料日前で自戒のために三千円ほどしか余分が無かったことです。大人としてありえないんだけどww なんかもうほとんど小学生が母の日にカーネーションを買うみたいな気持ちで買ってました(ていうか今考えたらその日は母の日では…)。
そのあと友だちと合流したら「ポスター買ってる」って笑われる(昼始まる前にたまたま会ったときに、「ポスターは移動でボコボコになるから広島あたりで買うか~」みたいな話をしてたからもある)。買う予定がないからこそ鞄もポスターが入るサイズではないから常に手に緑の棒を持ってるわけですよ。これで夜入るわけですよ。いや笑うよね。

でもいいんです。どうやってもこの感謝を実績にしたかった。売上げにつなげたかった。その時の最善の策がこれだったのは間違いないって言ってやる。

 

しげあきバケモンだなって思いました。

褒めてます。だって昼夜通して5時間。5時間だよ! 2.5時間×2公演。1フレーズも誰かに渡すことも、自分からあきらめることもなく公演をまっとうした、その精神力と体力と運の強さに、やっぱり今でも何に感謝していいかわからないままです。いや、たぶん音楽の神様でいいんだろうけど。

わたしは4歳くらいからYAMAHA音楽教室さんでピアノに触れてきました。ただの習い事ですが、初日の記憶は今でもあるし、あの教室で学んだことはいまでもわたしの中で生きてます。
その中で自分が舞台に立つこともそこそこありました。大人になってからもそれやってます。次の予定は未定ですけど(わたしがこのツアー中でふらふらしてるからですけども~~……)。

翌日、声楽やってる友だちにも名古屋の報告しました。第一声が「恐怖やな」だったと思います。
起きたら声が出ない。でも2公演ある。恐怖だろうなと思う。わたしは声楽科ではないので、近い経験と言えば本番近くに腱鞘炎悪化させたこととか、試験日近くで指にケガしたこととかですかね。あれマジ自分のろうレベルです。なんで予防できなかったんだろう、なんでいまなんだろう、なんでわたしなんだろう、でも悔やんだって絶対的に時間は前にしか進まないんですよ。

昼公演の最後の曲で泣いたところを見たとき、「だよなあ、」ってそれだけを思いました。同情とか憐憫とか、そういうのではなく、ただもう、わかる、しか言えないけど、それ以上にもう答えはもらってるから、それだけでしあわせだから、わたし財布からお金を出すしかなかったんですよね。

誰が否定しようが、わたしはこの公演を肯定する。

肯定したかったんですよ、自分のためにも。
Twitterにも書きましたけど、MCであんなにはっきりと小山さんが「今日声が出ない」と言わなかったら、もしかしたら観客側は気づかなかったんではないかと思ってます(わたしは1曲目あたりで気づいたんですけど、これ自慢じゃないからな、言うけど、感受性とか耳の良さってたまに魔物だからな、ってだけ言わせてくれ)。
けーちゃんがああ言ったのは、もしかしたらこっちに釘さしてたのかな、とも思います。そのあとのゆうやさんとかもそう。いつ誰が代わりに歌っても、観客が驚かないように。あれは、観客に対する牽制だったのではないかなあ。

あと本人が「喉以外は元気」って言ってたけどそれもなかなか信用ならないな、とも思います。笑
っていうのも、そもそも喉をやるときって全体的にどこか無理してる時で、どこか体に不調がある(もしくは全体的な体力の低下=疲れ)場合が多いからです。なんなら静岡あたりからずっと喉元押さえてたので、やっぱりなという気もしなくもなかった。

ただそれでも、ちょっと “はみ出る” 響きがないくらいで、本当にふつうの声だったんですよ。なんならわたしとても好きだった。マットで、しかもメンバーと調和の取れる音だったので、こういう声を自分で “選択” できるようになると最強なのではないかな、とさえ思った。

いつもならやらない、首に負担のかかるような姿勢も、ずっと呼吸を整えることも、ぜんぶ自分が責任を持って歌うためなんだな、と。一挙手一投足が奇跡のようだと。
それに呼応するように、それまでで最も観客側のボルテージも上がっていて、なんだろう、なんか名古屋日曜すごかったよ。

どうやって音を出すのか、どうやって通常にさえ届かない自分の状態から音を紡ぐのか、何を選択して、何を捨てれば、この公演のベストになるのか。
そういった、それこそ、生きるか死ぬかの戦いを見た気がしました。生きていくなかで、こんな日が来るなんて思わなかったよ。誰かがほんとに、命削って歌う公演に入るなんて。

そうやって、翌日あたりから、和歌山探そうと思いました。行く気なかったんだけどこれまたホテルだけは押さえてる系おたく。どうとでもなれと思って探しました。
広島は行くにしろ、その前のワンクッション、どういう公演になるのか見ておきたかったんですよね。それで日曜お声がけいただきました。ありがとうございます。そうやって生まれて初めて、和歌山に行きました。
……行く前日あたりに、名古屋のアレを悪しざまに言うツイートを見てしまったというポカを抱えて。

昼公演で歌いだし入れなかったことと、夜公演でのボッシュート(マイク置き去りにしたこと。世界ふしぎ発見)は、これまた名古屋と同じで、「なんでそうなるかな、でもわからなくもない、わたしだっていつも置いてる手のポジションが吹っ飛ぶのはよくあった」とかそういう感じで、なんなら公演中げらげら笑ってたんですよね。そしたら今日知ったんだけどゆうやさんとかもめっちゃ笑ってたらしいやん。そら笑うわ。

でも帰りの電車とかで、どこかずっとムズムズしてて、なんでイライラするんだろうなあ、とずっと考えていて、月曜の夕方ふとわかったんですよね。
そうかあ、これって、あの名古屋を悪しざまに言う人たちに、付け入る隙を与えたことになったんだな、と。
そういう思考回路になったのは、たぶん、そういうツイートを見たからもあるだろうし、そもそも音楽とか舞台とか、そういう悪意にさらされるようなものだと自覚しているからです。

大学のとき担当講師から言われたんです、「誰かが間違ったら、自分の代わりに間違ってくれてよかったと思うくらいではないと、ステージに負ける」って。
今でもその時の鍵盤を覚えてるし、それを承服できない自分もいる。そういう気概でいろってことなんだろうけど、でもわたしはそれを承服したくなかった。

マイク持ってないのを理解したとき、瞬間的に呼吸が止まったのも事実だし、ああ、また止まる、と腹の底からぞっとしたのも事実。回避できたのはメンバーがよく見てたからとしか言えない。

でも、なんならBLACK FIREとバンビーナは、わたしが知ってる限りの中で一番鳥肌立った気がします。いい音だった。もしかしたら、ボッシュートがいい塩梅で緊張感を緩めたのかもしれない、とも思えるくらいです。

何より、U R not aloneの二人ずつの掛け合いが素晴らしかった。完全に音楽だった。自分の伝えたいこと、相手が言いたいこと、それを汲んでまた返すこと。可能性に賭けること。そういう音楽のすべてがあそこにはあったし、それをわたしたちにも共有してくれた。「四人」と繰り返し言ったことは忘れないよ。

さらに忘れられないのが、MCでのみんなの顔なんです。
とても自然に、全員が笑えて、下らなくて、気心知れてて、そういう信頼が全部見える、みんなの顔が和歌山での個人的ないちばんの収穫だった気がしています。
ミスしても、「こういう意図があったのに」と主張しても、それでも笑って、じゃあどうしようか、って言える。そういうのほんっと、いいなあって、思い出すたんびに思う。

そういう、積み重ねてきた時間とか、音を否定しないために、わたしたちっているんじゃないのかなあ。わかんないけど、わたしたちだって好きだってことを否定したくないしね。

曲も縁だとは思うけども、曲があるからそうなるのか、曲に寄っていってしまうのかもわからないけど。(最後の曲のことです)

必ずどこかで悪意に触れることはあるけど、それに負けたくないなあ、と思う。絶対的な肯定はあり得ないにしても、その悪意を丸ごとひっくるめて、それでも肯定したいなとも思う。

いい音楽だった。名古屋も和歌山も、誰かをしあわせにする、いい音楽だった!
誰が否定しようが、わたしはこの公演を肯定する。

そういう気分です。なんか長々メモしてたら疲れてしまった(毎度のことだけど体力なくて失速するよねワシ)。
でもなんていうか、悪意はつきものだけど、それをいなしてしまえる強さがいまのNEWSにはあるんじゃないかな、って思うんですよ。直感じゃないよ、これは。実感。
現場で得た、実感なんです。