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星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

一歩

そういえばいまふと、ゆうやさんがいざないづきのときにセンステに上がってくるときの景色を(上手の後方、スタンドの位置から)見えたのがフラッシュバックしたんだけども、あれをなぜか「孤独とたたかう」と呼びたくなるのに気づいた。いやマジでいまふと出てきた言葉なんだけども。


こないだ書いたゆうやソロの感想が雑すぎて自分の精神状態がとんでもないなあと自覚したところだったんだけど(あれはあれでひどい心持ちだという覚書で恥をさらしておく)、たとえばああやってアウトプットするひとたちを見ることってある意味安定剤みたいなもんであって。

ゆうやソロのみならず、ここでは公開しないであろうじたんソロの感想も、やはり孤独とたたかう、になるのだろうなと思うのです。


じたんソロについては、読書体験読書体験とラジオで何度も言ってた通りだろうし、なるほどそうやって提供する「読書体験」があるのか、とちょっと歯噛みしたくなるし。本当に毎度毎度、そこにあるものを間違わずに、伝えるように読むことから、咀嚼して一度自分のものにしてから言われる「君なら わかるだろう?」には何度もムキーーーーー!ってなったんだけど(ここ深堀すると大変であるので今回は割愛)(そしてあくまでもキャーーー!ではないのがかなしいところ)、どちらにせよそれは孤独とたたかうこと以外になくて、そこから紡ぐ絆のためのなにかなんだよな、と思ったわけです。

 

なんで弾くの?
なんで書くの?

 

わからないからやってる気はするけど、でもそこから何かつながるからやるんだろうってのはなんとなくわかるし、そうじゃないコンテンツがひたすら空虚であることももうわかる気がしてる。

 

制限というのはあるほうが実は望ましい。だけどそこに情緒が持たせられないのならそれは単なるカオナシだ。

 

と。

 

孤独とたたかうために書いたり歌ったりすることと、
孤独に書くこともちがうし、
書いてて孤独な気がすることと、
結果ひとりきりだったこともちがう。

 

ただやっぱりあのとき、センステにのぼってくるゆうやさんも、ドームのいざないのしげあきも、その一歩、というのは、死地からの一歩であるのはまちがいないといま、やっと思う次第でした。


9/15になんてこと書いてんだと思うけどww

でもたぶん、そういうNEWSだからすきなんですよ。それだけです。

おめでとう。ありがとう。これからもそうやって紡いでくれたら、と、切に願います。

そうやって生きてるのをみてると、こっちもさらに生きようって思うからね!

 

 

(ちなみにちょっとだけ深堀するとあの読書体験の手法は昔わたしが関わってたやつに近いんだよ!完全なる上位置換ぐやじい (;ω;(;ω;(;ω;`))