星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

今更ながら『encore』について ーQUARTETTOのソロ覚書ー

3ヶ月が経とうとしている今なぜ書こうと思ったかと言われたら、単に自分にとって「宿題」みたいなもので、誰得でもなく誰に言われたからでもないんですが、それでも自分の宿題は片付けたいなと……ロス状態にも慣れてきたというか(マジで昨年に引き続き体調崩す)、あと仕事にもだいぶ踏ん切りついてきたという感じなので。「おっそ!」って言われそうですけど(苦笑)。

 

 なんども生き直す

今回のゆうやさんソロの醍醐味はここにあった気がします。おともだちも言っていたけど、イントロのピアノの音だけで、しかもそれが録音であるにもかかわらず、その日のコンディション(感情)がわかるきがする。いや、その前の指輪を見るその視線だけでわかる気がしていました。

個人的には名古屋1日目がしぬほどつらくて(これはほめ言葉ではない方ですし、これを共有できるのは今もなお一人だけですので説明カット)、だからこそ翌日の『encore』で本アカで発狂したわけでした…名古屋2公演目終わったあとともだちと抱き合って泣いたのもいい思い出です。

それほどに今回のゆうやソロは、言うなれば ”裸” だったなあと。

なんかの雑誌で言ってたと思いますが、「そのときのグルーヴで歌っていた」。これができるのはすごいなと思う。しかしその分、オーディエンスの影響も受けやすいなとは思っていました。諸刃の剣といいますか。

 

ただ何よりすごいのは、その変遷です。

CD音源から生の歌になる。これあたりまえのこと。それがたぶん、何というかな……その人(『encore』の主人公)の中でだんだんと思い出になっていくようなさまがすごいなと思っていました。

それが、生き直すってことです。

 

生歌の何がきっついかというと、たぶんその、おそらくゆうやさんの性格からして毎度毎度その都度その都度が「その時」であることがつらいんですが、それがだんだん思い出に変わっていくさまが今回一番わたしの中で大きな変遷だったと思っています。

どの回が一番すごかったかというのはどのツアーでも言えることではないけど、福岡では一緒に泣いた気がしたものが名古屋2公演目では確実に笑顔だった。これは発狂するかと思うくらいの美しさで。仙台2日目はもうきっと自分の手をすこし離れたのかな、と思わせるほどに自然でした。悔恨も何も一度巡ったからこその笑顔というか。

後悔に滲むさまも、それを越えてそっと手放して次のしあわせを願っているかのようなさまも、すべて彼の演奏であって、演技であって、内から滲み出る『生き方』なんじゃなかろうかな、と。

それを惜しげもなく、音楽という手段を使って、裸になって魅せてくれる。その生き様のなんとかっこいいことか。

 

「もちをは現場の方が手越担」って友人からそれこそオーラスくらいの現場で言われましたが(笑)、いやあれだ、音楽を少なからずやってる人にとってあのひとそういうもんだな、と思いました。じたんの表現力とはまた別所にある、裸の表現力みたいなものに、わたしは毎回惚れ直すだけです。

 

まあ手越担じゃないから深いことは言えないんですけども。あっ石投げないで! マジでゴメンなさい!!!!

ただゆうやさんが歌を通して(もちろんバラエティもだけど)ひとをしあわせにすることは天命なのではないかと思うんですよ。

 

生きるってことは大変だけど、それを歌に音楽に言葉に旋律にのせて、そして最後に笑うことのできる手越祐也をわたしは、やはり尊敬しているのです。

 

「音楽って 気持ちを伝える手段でしょう」

まさにこれだと思います。