星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

映画『ピンクとグレー』観ました(2016.01.13)

ふと気づいて当時の避難場所から移植しました。一切手は加えてません。今の自分へ送ろうと思います。バットで。あっちもコメントがあるから消さないですが、これはこれで自分への自戒で残します。にしても3時間事件ってまだツアー前かよ!すごいね!

 

これ、初稿書き上げたところで1/11のメン愛3時間後事件が来てそれどころじゃなくなったやつです。まじほんとなんなの!!!ってわけで推敲してないけどもういいやーーー⊂( ・ω・)⊃


観てた間じゅう、脳内で鳴り響いてた音は「菅田将暉バイでした。何がヤバイか、って、そりゃもちろん演技力です。すだくんは仮面ライダーではなく『ごちそうさん(朝ドラ)から認識してすきになった役者さんですがほんとのほんとにこんなにうまいとは思わなかった!そして、たぶん、この映画って彼によって成り立ってるんですね。IQ低くしたからバカ際立つのかと思ってたら成瀬がやるから際立つとかすだくんほんとやばい(※詳しくはパンフ参照)。その理屈ってたぶんそれこそ、 "視点" なんです。

誤解と語弊をおそれずに言うと、菅田将暉もまた、加藤成亮なんだと。

これ、説明がものっそい難しいんですね、考えていたんですけども。おともだちも話していたんですがそれこそお互いの会話のキャッチボールがないと説明しづらい部分ではあると思っています。
成瀬くんが、 ”成瀬くんのままにりばちゃんを演じた” 。ここがキモで。あれは俯瞰でものをみているからこそできる二重の ”皮” 越しのキャラクターである、という……そういうところなのですが。これほんと説明するとこの記事の倍くらい費やしてしまうので、それこそ、「わからなくていい」、と思っています。わからない、とか、嫌悪感があるという方はどうぞゴーバックでお願いしますね。


しげあきが何度も「裕翔が自分に見えた」と言ってたのでそれはそれでほんとなんだろうし、でもそれはとは "別" のところにあるとおもうんです、これ。


まず、あの映画は『ピンクとグレー』であり、『ピンクとグレー』ではありませんでしたね。
折に触れてしげあきが別物だと何度も言っていたように、
あれは "シゲアキの『ピンクとグレー』" ではない。
なによりことばがしげあきのものではないんですよ。シゲアキ作品のいちばんの色というのは、それこそあのことばたちなので、それがない時点でほんとに原作というか、もはや「原案」に近いなというのが率直な感想です。ストーリー構成に関しては。

でも、確実に映画は『ピンクとグレー』です。
それはなぜか。
簡単です。

本質が同じだからだ、と、おもっています。

菅田くんの次に考えていたのが、「あの映画はただひたすらにうつくしかった」、ということでした。

"生きたいという欲求に足掻く姿はうつくしい。"

帰宅するあいだ、ずっとこう考えていて、思い返せば思い返すほどに、「つくしかった」「あの映画はうつくしい」、と心に繰り返していました。特に冒頭のダンスシーンはあまりにもうつくしくて、ああ、これか、ファレノプシスは、と、すんなり納得しました。あのシーンってものすごい象徴的なんですね。色使いも、鼓動も、なにもかも。
ただやはりどこか違い(双方の差異)というのはあるように感じられて、例えるなら……そうだな。原作の仄暗くまたビビッドな色味、かすかに薫る麝香のような原作の鬱屈した…それでも色気のある空気と、いつも青春の輝きに息苦しく溺れながら水面を通して見るような世界の映画、みたいな。ちょっと言い過ぎか。
しかしこれらは、異質なものでありながら、
本質はおなじなんだとおもいます。
映画にはいっそ清々しいくらいにしげあきの言葉遣いって残ってないので、逆にふつうに、フツーに!映画としてみれたと言いますか。
でもその中で残ってるものもあるんですよ。

「りばちゃんみたいなひとが大事なんだよ」

カラーパートでのごっち(裕翔)が言ったセリフです。それまで大してセリフが頭に残らなかったのに(ひどいけどこれがわたしの言葉アンテナです)ここだけおぼえてて(あくまで毎度のごとくニュアンスですが)。
これってきっと、モノクロパートでの成瀬のセリフ、

「大丈夫です、すぐに(芸能界から)消えますから」

と対になってる気がします。気がするだけかもしれない(苦笑)。

観終わったあと、ともだちと某チャットアプリで感想を言い合ってて、おともだちのことばで印象的だったものがあります。
「成瀬さん優しいね」
「白木蓮吾(柳楽くん)、そんな偉いもんじゃないよ」
このふたつ。

成瀬って完全にヒールで。単なるイジメ役に見えるんですけど、パンフですだくんが「前半も後半もつねに成瀬」「芸能界の象徴」と言ってて、頭抱えました。んで確信しました。そうか、このひと優しいんだ、やさしくて厳しいひとなんだ、って。彼がいなかったらきっとこの映画成立しないんだなって。

"白木蓮吾" の軌跡を追うりばちゃんにですが、それって意味がないんですね。きっと裕翔のりばちゃんにはその生き方というのはきっと似合わなくて(その服が似合わない、そんな感じで)それに気づいた成瀬くんは、おまえうまくここでは生きられないから(それこそ「うまく生きられなかっただけなんだ」、と、原作の遺書にありましたね)、と毎度も毎度突きつけて突き放す、その優しさの最たるものがあの、演者本人たちがいちばん口にしてる気がする殴り合いのシーンで。全治1ヶ月の怪我を大袈裟にしないという成瀬は、よほど嬉しかったのかなともおもいました。鼻血流して笑っちゃうくらいに。笑いが止まらないくらいに。成功した!やってやった!っておもったのかなと。
やさしくないひとほどやさしいんですね。
そして、美しそうなひとほど、美しくないんです。つまりそれがごっちで、それをお母さんも成瀬くんも知ってたんだとおもう、のです。

もうひとつびっくりしたのは。
柳楽くんがラスト出てきたところ。わからないを繰り返す裕翔側のりばちゃんに、
「それでいい(わからなくていい)」
と穏やかに言うところは、そのまんま、その日放映が始まったドラマ『傘をもたない蟻たちは』の原作にある『にべもなく、よるべもなく』のハイライトとおなじでした。ここもまたひとつ、本質はおなじなのかというところとつながるところで。まるでいきなりそこに『にべもなく、よるべもなく』の世界が出現したようでした。え、これ傘蟻じゃないよね、っておもったリアルに。映画観ながら。それくらいにあそこは、しげあきが「自分に言われてるかのよう」といってたくらいに「加藤シゲアキ作品」だったんだなと。

この、「どちらもコインの裏表」的なものって、NEWS的に例えて言うなら…そうだな、四銃士!ですかね!
あれはパガニーニさんがつくったテーマをラフマニノフさんがアレンジする、ってやつなんですよね。(四銃士の場合はそこに西本先生がまた入るんですけど今回はさておきってやつです)
で、それは他の人もやってて、有名どころだとピアノの魔術師といわれたリストになります。
同じテーマでも、出来上がった曲は全然違います。
そういうことかな。ちょっとちがうかもしれないけど、例えとしたらこうかなとおもう。

原作(になってしまった、と最近つけてみている)『ピンクとグレー』を裏返しにして、月明かりにかざした影が、映画となって水面に映える。

みたいな。(どんな!)
両方とも同じものだけどフィルターがちがう、みたいな。
そんなかんじです。個人的には!ね!

………。(息を長くつく)
しげあき担としていちばん大きかったのが、『ピンクとグレー』って、
別に "あのころ" にフォーカスした作品ではない、ということがわかった、というところです。もちろんひとそれぞれですが、おもしろいことに他担のともだちも言っていました。
そう、そのおともだちも言っていたのですが、あの頃の文章は、なかなか直視するのが難しいんですね。ただ短編のころから深く深く読んでも平気になってくるんですよ、ふしぎと。
これってきっと、時間が経たないとわからないことで。あの当時本を手に取っても棚に戻してました、こわくて。なんならまだあの景色覚えてるんです。平積みの。茶色の台に載った単行本。開いて見えた言葉。めくる自分の手の形。
フィルターかけるな、というのが土台無理な話だと思うし、でも、そこを逆手に取られたのだというのは今ならわかるんですよ、痛いくらいに。浅はかだったなーーー!! ほんと。
次が出せるかわかんないし、そもそもだせるかもわかんない、から、詰め込んだ。
あれってほとんど、成亮が小説家としてやりたいことを詰め込んだ企画書、とか、叩き台だった気がします。
あの中にある要素をひとつひとつ丁寧に取り出して、精査して、新しく調理して。それが顕著に見えたのが短編たちである気も、します。
パンフにもあった、林真理子さんの「本来ものを書くべき青年がジャニーズという世界で冒険してる」ってわりとしっくりきてるんですよ。ほんとずっとおもってるの。あのひと書くひとなんだと。書いて生きる奇跡残すひとなんだと。そのためのアソビバがジャニーズで、両方ないと生きていけないんだなと…このへんは日経ヘルスの方に答えてたとおもいます。


自分から死ぬのカッコ悪い

って、つい数ヶ月も経たないうちのらじらーで言ってて、ハッとしたんですよね。あのひと『ピンクとグレー』書いてて、そういうことサラッと言う。でも、「死にたいひとのきもちわかる」も言ってて、でもそれカッコ悪いって言う。
なんてかっこいいひとなんだろうね加藤成亮は!!!って思うとやっと泣けてきましたくそーーーーーーーーほんとほんとほんともーーーーーーーーー(のたうちまわる)

柳楽くんの白木蓮吾。は。
ラスボスといわれているだけあって、現実味がまったくないというか、蝋人形みたいだなっておもってました。完全なる虚像。そのひとがやったのって自分勝手な ”1月24日” なんですよね。
生きるのに必死なりばちゃんと好対照すぎて逆に嫌悪感覚えるのが大正解!みたいな役どころで、だからこそよりリアルに、そこにごっちとりばちゃんがいた気がします。

そう、どっちもうつくしい。けど、きっとたぶんこれって、
しなないように足掻くのがみっともなくてもっとうつくしいんだよ
って。

 

報われたなぁと思いますね。暗い部屋で書いてた、あの頃が。


ダ・ヴィンチで、このことばをみただけで、
わたしの何かが崩れる気がしました。

次の小説に活かせるかもしれないし。


しなやかなひとだなと思いました。泣きたいくらいに。うらやましくて歯噛みしたいほどに。

日経エンタテイメントにはこんな言葉がありました。

「加藤さんは脳内を人に見せても平気なんですね」とか、よく言われます(笑)。本人にそんなつもりはなくて、サービス精神だと思ってるんですけどね。(これはシゲ部で言ってましたね)(中略)僕はずっと ”作家を演じてる” 感覚があるんです。書くときは自分を作家のチャンネルに合わせるというか。

わたし、シャララタンバリンだいすきなんですけど、曲以外ではなにがすきかって、「ソロだからいつもは気兼ねしちゃうこともできる」っていってたことなんですよ。(最近見てないからニュアンスで)
いつもいつもどうやって表現するか、……表現することを、生きることにするひと、というのがいますので………それに向き合ってきたひとが、軽やかに着替えることができるようになった。女のひとがお化粧してスイッチするように、しげあきのいちばんの魅力のひとつにこの変容性があるのだとおもいます。

そしてこれが、菅田将暉の役どころでもあったとも、おもってます。冒頭あたりに書いたようなことです。

もうひとつ言うなら、三神がいってた、「ほんとのわたしってなに?!」っていう嘲笑。

まったくもってさらけ出してもない、ただふと見えたものの一部をわたしたちはおこぼれのように見せてもらってて。しげあきはどんだけのものを見て生きてるのかな。うらやましくて仕方がない。わたしも見てみたい。どんだけ鮮やかなんだろう、痛いんだろう、うつくしいんだろう。

その "スイッチ" の切り替え方のうつくしさに、憧れて憧れているような気がします。……むかしは、できるようになったら、とおもってて、いつの間にかほんとのほんとに先に行ってしまった……あたりまえだけど……

映画だけ見るときっとわかんないことが多くて、原作から読んだらきっと嫌なこともあるんだとおもう。
でももしかしたら、あの単行本が発売されて5年(だっけ?おおよそ)も経ったいまなら、もしかしてお互いに補完、というか、ベタに言うならそれこそフライヤーにもあった、化学反応ができるのが、原作と映画である気がします。水鏡のようになっていて、それこそ連星の激しさを伴いつつ、それ自体は独立しているような。

「世界が変わる」
映画のアオリにこんなことばがあったとおもうのですが、本当に変わった気がします。少なくともわたしの世界は。

『ピンクとグレー』って、 ”そのとき” の成亮のはなしではなくて、 ”これからどうするか” という生き方の叩き台だったんだなあ。というものすごーーーいあたりまえなことの再認識。

いっぱい見える角度が変わりました、世界が変わりました。


ピンクの風船はごっちの魂かな。
と、ともだちがいってました。そうかもしれないな。自由になってひとの手を離れるんです。
それに向かってデュポンを投げた裕翔のりばちゃんが、きっと映画の中でいちばんすきです。ヒール(成瀬くん)は別格に、ひととして投げ出さないりばちゃん、とてもすきです。

生きるひと。


もう少し生きてみようと思う。って、成亮いってたね。なーーーんもかわってなくて、でも変わってて。

 

「その人が生きる手段というのは、その人の武器になるんです」

 

ゆうやさんの「あなた」の記事にも引用したものです。中山七里さんの小説『いつまでもショパン』の中にあるセリフです。

生きるための確固たる手段を身につけて軽やかに変容して自由になる。
それこそが、武器で、生き方。

『うまく生きられなかっただけなんだ。』

これって、アイデンティティを確立できなかったってことなんですね。おともだちと話してて思いました。これがきっとごっちがやれなかったことで、裕翔のりばちゃんが託されたことで、しげあきがやろうとしたことだったのではないかな、とも思うんです。



あとは……
書くのやめよかとおもってたけど書いちゃうね(笑)。
カメオ出演のやつ、たぶんTwitterでちらっと見ちゃってて、でもあれは見ててよかったなーと思いました。まあまさかあんながっつり映ってるとは思わなくて、一回目は見落としても仕方ないというつもりで観てて。そしたらモノクロになって行定監督がいたらから、おや?このへんかな?とおもってたら(わたし乱視ひどい上に最後列で見てたので不確かですが)なんかスタッフの奥にいる……とおもったら移動してがっつり右端ーーー長いーーーーーー!!ってあのときだけ完全に映画の世界からポンと出てしまいましたごめんなさい!いやー予想外に長くてね!あっはっはまさかスクリーンでほぼ全身観れるなんて思わなかったから許してください!!!

………。
逸れましたね、ハイそれました。映画で泣かなかったんですよ。そんな感じで。
いやだってなんか、ほら、答え合わせみたいなもんでさ!いままでのことばを積み重ねてきたら、特大びっくり!なことはなくてさ。ただしなやかに強いひとだなって。じたんのかっこよさをかみしめてかみしめて、たまに時差でめそめそするくらいです。おめでとうございます!!って諸手あげてお祝いする!


"言葉メインの表現力落ちで、背後に滔々と流れる狡さにがんじがらめなもちを!!"

おともだちがこう、表現してくれましたww


渋谷は変わっていく街なんです、みたいなことも言ってて。生きてる街とも言ってたっけ。

だからつまり、そうだな。きっと、生きることって変わることで、それがうつくしいんだ、ってことなんだとおもいます。あたりまえだけど。

どん底に突き落とされているようでじつは、じつは全部から愛されてすくい取ってもらったものがたり。
未来への渇望が、過去を救うものがたりなのかなとおもうんです。ずっとしげあきが言ってることばって、もしかしたらそういうことなのかもしれないなと思いました。


いま、このとき。
映画を観れて。
そこから見えるものがあって。
よかったなあ。
いろんな方面へ向けて頭を下げたい。

ありがとうございます。

 

 


最後に。
Twitterでこんなこと言ってました。



自戒を込めて書いた記事となりました。うまく表現できなかったなあ。うまくなりたいです。『ピンクとグレー』からは、そういう向上心をたくさんもらった気がします。