星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

QUARTETTOツアーのI・ZA・NA・I・ZU・KI、今度は歌のはなしをしよう

「わたしは楽しいけどこれマニアックすぎるやろwww」とともだちから言われたいざないづきの歌の話をしようかなと思います。ダンスについてては、

high-cube.hatenablog.com

 こちらを参照ください。

こないだの水曜日に手書きで書き起こしてたのはこのためでした(サビだけですが)。

 

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(ほんとはもうちょっと書き込んでるんですがそれがどこかに行っちゃいましたハハハどこいったんだろうなあーーーーーーー半泣き)(いやでもすぐ書けるんだけど。ただ単に面倒くさい)

 

忘れないうちに先に言うと、個人的にはゆうやさんの歌い方もとてもすきでした。これ誰かに訊きたいな(てごしたんのひとに)。


まずは整理。歌割は確かこうだったと思います。

(増田)
Get Away 月夜に 隠れて Be Silent
いざなう 夢に咲く We just can Get Away

(小山)
真夏の静寂 刹那に 夜に響く
はかなげに 照らす月 今宵だけの 光放つ
悲しくも 美しく こんなにも 惹かれあうなら

(手越)
Get Away 月夜に 隠れて Be Silent
誰にも 気づかれず どこかへ Too Far
Get Away 沈黙 奏でて Be Silent
いざなう 夢に咲く We just can Get Away

(加藤)
語り合う 言葉を 集めるより 口吻を
いたずらに 揺れる影 暗闇の中 白く溶ける

(手越)
つのるほど せつなくて こんなにも 惹かれあうなら

(4人)
Get Away 月夜に 隠れて Be Silent
何にも 恐れずに 信じて Too Far
Get Away 沈黙 奏でて Be Silent
いざなう 夢に咲く We just can Get Away

(2人)
幾千年 時をかけ Let Me Go いつでも
幾千の 恋の行方 Let Me Know 見ていた
あの月に Everything 願いを託し Get Away

(4人)
Get Away 月夜に 隠れて Be Silent
誰にも 気づかれず どこかへ Too Far
Get Away 沈黙 奏でて Be Silent
いざなう 夢に咲く We just can Get Away

 

わたしの手書きのやつは、聴こえ方とかを追っただけなので実際メンバーがどんな楽譜を(作曲者からの正確な楽譜を)もらってるかなんて知る由もないのですが、こんなに濃やかなんだなあと改めて思います。
この曲は言葉先行なのか旋律先行なのか…と考えると、うーん、プロならどちらでも対応できそうなのですが、もしかしたら言葉先行なのかなあ(なんかソースあったっけ?知ってる人いたら教えてください)。とにかくどちらにしろとてつもなく難しいと思う。

自担に関して言いますと…自担がこの曲をこのツアー中にどこまで「わたしが理想としてるいざないづき」に近づけてくるか、っていうのが勝負でした。勝負、というのはおそらくわたしの勝手な勝負です。ただその「変わる」という一点に賭けていた、と思います。そして、理想とする、というのは、「楽譜として、曲想として考えるに理想とされる表現方法を」という意味です。

 

16分音符(げらうぇいの「げ」「ら」「うぇ」「い」ひとつずつにあたります)ひとつにも「物理的な長さ」というものがあります。
これはどの曲もそうだけど、この長さをおろそかにすると、かつ、「その曲らしい長さを表現でき」ないと、音楽は崩壊するのだと思ってます。崩壊は言い過ぎだとしても、物足りなくはなる。

とくに、テゴマスから4人につなぐ

願いを託し Get Away
Get Away 月夜に

ここって休符と音ひとつの長さがきちんと取れないと音楽が成り立たない最たる部分だと思ってまして。
弓を射る、この動作を思い浮かべてもらえると少しわかりやすいかもしれません。

弓をつがえる、引き絞る、放つ。
この3拍の、一連の動作。これって音楽の中にもよくあることで、

願いを託し Get Away (つがえる、引き絞る)
Get Away 月夜に (引き絞る)
隠れて Be Silent (放つ)

こうなるかな、と思います。(厳密にはちょっとずれるけど)
いざないづき、一音はこまかいですが、その一音一音はすべてがテヌート(演奏記号の音符の上下にある横棒ですね)。”tenuto”ってよく、「その音をのばす」と言われるけど、これも厳密には「その音符の表す長さを充分に保って」なんで、てきとうに伸ばすんではなく、16分音符なら16分音符ぶんの長さを表現する、ってことになるのです。ちょっとややこしいですね(苦笑)。
同様に重要なのが休符。「Get Away 月夜に」の前の8分休符が充分に取れてないとこれまた急いた印象を受け……つまりは個人的にはじたんのココがキモだったんですよね……休符っていうのはそれこそ「弓を引き絞る」にあたる部分で、ここを引っ張れないとうまく矢を放てない(そして獲物を射ることができない)のと同じで、ここが物足りなかった…以前のコンサートまでは。

そうそう、Whiteのときはすぱそにあたりでともだちからよく「しげあきまた急いじゃって」と言われてましたがこれってつまり休符をあまり意識できてないってことだったんですよね。休符を取ればおのずと音符のほうも取れる……音が鳴るか鳴らないかの違いはあれどそこにその「長さ」という物理的…というか、「時間の流れ」がある限り、音が鳴る・鳴らないに関係なくそこに「音という時間の質量」がーー気持ちがあって然るべきなんです。

それもWhite終盤になればほぼできていたし、……つまるところそれが鍛錬の証であり、曲想への理解であると言えます。これは表現者としてあたりまえのことですがそのブラッシュアップがあり、そして今年のQUARTETTOへの布石だったのではないかと(去年は去年でのベストというのを踏まえての)。

 

そう、何がすごいって、その鍛錬です。曲が持つ世界というものにどうすれば近づけるのか、それを丹念に追っていくというとんでもなく面倒なこと(=曲想の理解)から逃げない、これが練習というもので、それをやったであろうしげあきは、本当に、本ッッッッ当ーーーーーに、かっこいいんですよ!ただ単に「うまくなったよねかっくいー!」とかいう頭の軽いやつ(スマン)じゃなくてサ!!!「音ひとつひとつの意味を丹念に追うことで表現力が高まって音の世界が聴き手にさらに伝わるようになった」のがかっこいいんだよ!!!って声を大にして言いたい!いいたーーーい!!!しげあきかっこいいぜイェア!!!!

だからこそより、前エントリのいざないづきの振り付けか生きるのではないか、とも思います。振り付けも音の長さに楔を打つ、そういう作用があるのなら、余計に。

また、ソロパートはチェンジの音域なのかなあと思ってます。わかりやすいのは「白く溶ける」あたり。ヒカリノシズクもそうだけど、チェンジの音域だとちょっと音移動が不揃いになるんですよね。しかしこれもいざないづきと同じくどんどんと滑らかになり、しかも少しだけ音が上を向いてきて、ああ、自分の中での表現方法を見つけたんだなあとすごく毎回しあわせでした(この感覚ってむしろ講師時代のものに近いのだろうかといまさら自問しているが…)。

 

そしてこのころのツイート。面白いので拾ってきましたww

イザナイの振り付けでさー、天井席だったから見間違えかもだけど、外に向かって踏み込む、ってのがあったと思うんだけどどうだろう、間違いではなかったらあれがものすごくすきだった。ていうか振り細かくて全部すきだけど、あの、最後に「外に向かう」エネルギーがすごくすきだ……

 

ツアー中どんどんしげあきの声が上がっていくのがわかるのがしあわせだった。上がるってわかりづらいなあ。層が高いところで歌うの。今日のイザナイとかちょいピッチ高いくらいだったしなあ。あの高さがきっと歌いやすいのかなあってそんなことおもってた。どの曲もそう。層が高い。なんてしあわせな… 

 

わかるだろうかと言いながら理解してほしいわけではない。そういう人たちもいるよ、と伝わったら嬉しい。身振りも内面しか生まれない…えあまんさんに振り付けてもらえるのもきっとそういうことだと思う。振り付けってたぶんその音楽の中に一歩踏み込むことだと思うんだよ…


(これからあとは、変化に浮かれまくってるオーラス前日)

げらうぇい つきよに
この長さとリズムがわたしの求めてるもののほんとのほんとに近いの、ほんとにしあわせ。とける、とおなじくらい、望んで望んでいつかいつかって言い続けたものだよ…ありがとうしげあきありがとう、あと一度だけ聴かせてくださいね。

 

イザナイのあのダンスいままでになかったよね?!って何人かと話したけどほんとにあれは…あれは…
あれがあったからこそしげあきの声が変わったのかもしれないと思うとほんとえあまんさん罪深い…いや尊い…どっちや……

 

イザナイがね、ほんとにわたしが欲しかった「長さ」があったの。「げらうぇい」の、ひとつひとつの音の長さが99.9%、わたしが欲しかった音だった。さらにいうならしげあきのソロがすばらしかった。「とける」ここがあんなにもなめらかに音移動ができるなんて。


こんな感じでしたw


いま書いてて思ったのが、やはり言葉では表現できないのが音楽であり身振り手振りの踊りであるのだろうということです。
ただ、ことはにも音にも動きにも共通点するのが、「そこに心の動き」があること。
心が動くから言葉が生まれ、音程がついた歌になり、それを膨らます動作が生まれる。人間というのはいまになってもあまりにも原始的に生きているのだなと思います。

いざないづきの次の曲がWonderで、その次がシリウス。もしかしたらそのあたりに意味というか、……どちらが先かもわからないし、もしかしたら単なるたまたまかもしれないし、でももしかしたら。意味があるのではないかと思うんです。

 

原始的な御神楽…神への祈りであるであるいざないづきから、
人間の闘争本能であるWonder、
その人間が闘争本能を超えてまた祈る…相手は神ではなく人間に…シリウス
そんなふうな3曲のつらなりであったような気がします。

 

まあ、勝手な解釈ですけどねww
でも、それでも、わたしはいざないづきの意味を見つけたと思ってます。祈りであること。そこに一役買ったのがえあまんさんなのかな?の振り付けであること。

Whiteでは黒セクション(BYAKUYA~winter moon)がキモであったように、QUARTETTOではこの「いざないづき~Wonder~シリウス」は、まさに心臓部であったと、わたしは思ってます。
…じゃないと、あんなカオして歌わないもの…ね。一音を呼ぶ人のカオ……

 

このQUARTETTOツアーの中で、なにげに一番の宿題というような立ち位置にいたのが、このI・ZA・NA・I・ZU・KIだった気がします。ここまで書いてやっと、わたしとしてはスタートラインに立てた気分です。