星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

ドラマ「傘をもたない蟻たちは」メモ

今週末までにひとつ、読書感想文を作らなければならないのですが、その課題図書の選定に苦心しているわけです。決まらないーーーー!
というのも、

荻原規子vs加藤シゲアキ ファイッ!!

……うわーこれ、15年前のわたしに見せてもぜったいはてなマーク飛ばすだろうなあ(笑)



……ドラマ、傘をもたない蟻たちは。
たった30分で、たった4回の連ドラでしたが、蓋を開けたらもしかして、映画「ピンクとグレー」よりもわたしの水道管の破裂は、大きかったかもしれないです。


映画は、やはり、なんか、こう、覚悟して観るじゃないですか(ですかって)。カメオ出演はさておき、やはり本人が「別もの」って言ってたりすると、それなりに覚悟してるもんです。
といっても、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」に関して、覚悟がなかったというのではなく、…うまく言えないのだけど、色味が違う、と、ずっと思ってたのですよ。たまたま両方とも公開日に観てるから、というのもあるとは思いますが。
それってなんなのかなーと思ってると、たぶん映画とドラマの差、というのがいちばん大きい気がするのです。視覚的な要素に因るものですね。
しかし、それだけでは、わたしの感覚というのはおいそれと動かない。
では何か?

完結しているか、閉じてないか(もしくは拡張するか)。

みたいな。


映画「ピンクとグレー」(以下ピングレ。めんどくさくなってきた)は、それ自体で一個完結してる気がします。ゆーとの映画。菅田くんの映画。行定監督の映画。シゲアキ原作の映画。
それがボンボン跳ね返っていろんなところにいろんな影響を及ぼしても、それは一個の映画であって。その中で働くものが多い気がします。中というか、"映画本体は何も変わらない"というか。映画そのものが推進力。
対して、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」(こちらも以下傘蟻)、これ、拡張型かなとおもいました。

傘蟻ね、3話くらいから、不思議と背後がこわいんですよ。背後が。広いんだよ。すげーーーーー遠くまである気がするの。それこそあのひたちなかの海みたいに。(ちなみにうちのところも海あるので、遠さ、というのはとても身にしみてるつもりです)
色味はドラマなので明るめなのに、底知れない、みたいなものがある気がしてて、なんだろうと思ってたわけですが、昨日の最終回を見て、ああこれかと。


作家なら書かなければ


二度、作家にしてもらったんだ


……………


閃光スクランブル」の文庫版のあとがきで、「作家にしてくれた」というフレーズがあって。
それ読んだときに、なに言ってんだこのひとは!とおもったのです。
してくれたのはこちらもおなじです。いっつもファンにしてもらった気がしてます。つまりきっとWinWinなんだとはおもう…作家とファン、双方がいないと時間って進まないものだから、あたりまえなんだけども。

で。
それをなー、ご本人がなー、役として演じてる側から言うわけじゃないですか、「読みたいんだよ」って。
それに「読者がいる」って返すわけですよ(ニュアンスだけど)、ご本人が作ったキャラクターが。
もう、


前方からの攻撃に全力で備えてたのに背後から難なくポンって肩叩かれて完敗した気分


前の方で明るいことが起きてて、それをじっと見てたら、背後にとんでもない広さの大海が広がろうとしてた。とも言えます。

拡張型、というのは、そのようなものかなとおもいます。


多角的な攻撃、っていうとなんか語弊がありそうですが、しげあきのやってることってそんな感じかなと。変容性とか柔軟性、とか、このへん突きくずしていくとそれだけでいちエントリできそうなので今回はやめておきますが、でもそういう"やわらかさ"が傘蟻では顕著だったなあ。


あーーーーーーーーーもう!!!ズルいズルいズルいズルい!!!!!!!!!!


こういうのって、ある意味勝負で。
しかし、敗けたを通り越して嬉しくて嬉しくて仕方ないわけで。
とんでもないプレゼントもらったなあ。ドラマ「傘をもたない蟻たちは」。


おかげでまだ課題図書が決まりません。「好きな本にしたいけどそれだと思い入れが強すぎてどうなることか」と話してはいるんだけど…とりあえず書き出すしかないのかな、とはおもう(締め切り的に)。
踏み出す一歩、かな、これも。

と、ふと思い返せばですよ。
いまならやれるんです。対外的に。
対外的に、というのは、「ジャニオタじゃないひとに対しても」という意味です。そしてそれはひとえに、しげあきが年一というペースで書いて、それが映画とかドラマを通して評価されるという"現象"があるから。
「ああ、ジャニーズのひとが書いたの?」って言われても、たぶんきっと「いや、読めばわかるし」って一笑に付すことができる。これってファンが作家側からもらった "強さ" だと思うのです。

うれしくてうれしくてずっとないてしまう
そんなかんじです。

いつももらってばかりで、いつも強くしてもらうのはこちらばかりです。あなたの生きる上での武器が、こちらのすきであることの武器になる。なんてうれしいことだろう、なんてありがたいことだろう。

そんな狭いテレビ画面なんで見てないで、って言われて振り返ったら "村田啓介" がいて、その背後にはさらに世界が広がっていてそれが傘蟻の世界だった。

視覚的なイメージを拾ってみたらこんなだけどぜんぜん伝わらない……(ここもやはり惨敗)
ただひとつ確かなのは、ずっとこのドラマ抱いていける、っておもったことです。村田啓介という "アイコン" が、まちがいなくそこに存在して、世界を推し進めるんだな、っておもうと、震えて震えてしかたないのです。


…と、そんなことをシゲ部の時間に打ってました。
というのももしかしたらご本人の口からなんかドラマに関しての発言があるかも知れないと思うと聴けないわけです。どうしてもあっちの方が強いから、わたしのことば上書きされたりするからなーって。
ぶれない強さを持ちたいものだけどもなかなか難しいなとは思います…


あ、あと、本編ではそんなこと言ってなかったと記憶してるので触れないでおこうと思ったのですが、やはりメモとして。
理解できないと泣いたジュンが書いた原動力のひとつが、もしかしたらその友人が目を輝かせた誰かの"フィクション"なのかな、と。



とりあえずそんなかんじ!です!ハイ!
いやーでもほんっと課題図書どうしようーーーーーーーーとおもいつつ、ともだちに送ったものを最後にメモしておこうと思います。



"前向いて作品見てたらうしろから、

ちゃんと書くね

って言われた気分"