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星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

文庫版閃光スクランブル:あとがき初読メモ

おともだちに未読の方がおられるし、わたし自身が本の地域格差に敏感で、あまりにも苦しくて仕方ないので、こちらに書くことにしました。

ほんのすこしなのでツイッターでいいことだけど、こっちに書くという「気配り」をしたいだけの自己満足です。

 

まず1ページずつめくります。わたし本はなんであろうとそうしたい。

本編は、加筆修正は置いておいて、……ただ、わたしがいちばんすきなあの一文が変わってないのを確かめてから(どこかは、いつか、話せたら。)、ラストの文章を確認して、

あとがき、読みました。

 

ふしぎと泣かなかったなあ。いまも泣いてない。

ただひたすらに、「ピンクとグレー」より長くなったことに…それはもしかしたら、言えることが増えたのかもしれない、とおもって読んでました。

 

いつもより文体が少しやさしくて、いつもよりもう少しフラットで、この感覚は、もしかしたら、今年のMyojo一万字の感覚ににてるとおもいました。

 

彼にとってここに書いてあることはすでに「過去」であり、片付いたことであり、通り過ぎた、それこそ「通過儀礼」…通過したものであることを、肌で感じる文章でした。

 

ひとこともそこにはなかったけど、亜希子の「覚悟よ」、これが「過去」として滲み出る文章にひたすら、……なんというのかな、やはりMyojo一万字とおなじで、納得する……ただひたすらにありのままに自分の中に彼の言葉を受け入れるだけの作業だったようにおもいます。

ふしぎと落ち着いていて、ただどこか夢のようなのは、まだ、単行本を読んだときのことを覚えてるからで、ゆっくりすり合わせていってるだけなのかもしれないです。

 

「自分は『閃光スクランブル』を書いて救われました。」

ただここだけで、待っていた時間がすべて、紅茶に落とした角砂糖のように溶けていったような。

 

あまりにも淡々と、やさしく、おだやかに、あのときと違う「加藤シゲアキ」のことばを、わたしはあいしてます。(あ、うん、きもいね、しってる)

 

彼は作家で、わたしはファンで。そこにはアイドルというものも何もなく。

お互いに見えない、「作家とファン」でしか存在し得ないものがあるのを、真に本を読む人なら必ず知っているとおもいます。

 

解説は、まだ読んで無くて、というのも、ほかの人の言葉を入れたくなくて、なのですが。

飛ばして、裏見返しを見ました。

 

加藤シゲアキの本。

2冊になってましたね。あたりまえか。

けれど、その「あたりまえ」こそが彼の覚悟の轍で。

その増えた文字こそ、いちばんリアルな、現実だったなとおもうのです。

 

「作家にしてくれた」、と言うのなら、こちらは「ファンにしてくれた」というのがきっと正しくて。

双方向の熱がないと成立しなかった関係に、きっと一生、しぬまで付き合うこの感覚に、

名前をつけるならきっとそれは、しあわせ、に他なりません。

 

 

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