星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

補足:ask「ゼロカルチャースピンオフ」

こないだaskをいただいて、ゼロカルチャースピンオフの感想を書いたのですが、それが自分でもびっくりするくらいに斜め上な感想でした…失笑するしかないくらいに。
 

ask.fm

これです。
しかし…そういえばわたしなら「どこがどうすごいのか」と説明するのか?というのを書いてなかったことに気づき、また、おともだちからも「書いてwww」って半笑いで言われたので、需要なさそうですが、書こうかなとおもいます。需要なさそうですが(二回言う)。
ちなみに、先日某報道番組を見ていたら「何このコメンター、なにがすごいのかちゃんと理由を説明しなさいよ、喋り方もぬるいし、何歳なの?」と母が全く同じことで渋い顔していたのがおかしかったです。血は争えないとはこのことだ……(ヽ´ω`)
 
そして午前中仕事してて思ったんですけど、これ、仕事だったら当たり前のことをつらつら書いただけなんですよねえ~。途中で「社会人なんだし」って書いてたけど。だから特筆すべきことがないんですよ彼らの仕事に。
あえて言うなら、を書いてみた、というそれだけになってしまった…「愚問」ってやつですねしげあきさんよ…

 

雑誌のインタビューを読んでてもよく発言してるのでいまさらなことですけと、しげあきには「どうしたい」がたくさんありますね。だからこそ、智くんの個展のときも、船の上で釣りの話ではなく、その個展について食らいついて質問したんだと思うし、しょーちゃんとも対等に話せるんだとおもいます…考えてなかったらきっと質問すらできない。声がまず出ない。だから、そう、
対等、なんです。
 
あの鼎談の3人は、間違いなく対等でした。
なにがすごいのかと聞かれたら、そこがすごい、と、わたしは答えます。
 
わたしのすきな言葉に「責難は成事にあらず」というのがあります。十二国記の中に出てくる言葉なのですが、これがまた真理だとおもうのです。
「人を責め、非難することは、何かを成すことではない」
…その人の仕事ややることに意見を言えるのは、その人と同じレベルになったときだけだ、という。
これ、仕事として、ごくごく当たり前のことなんですけどねえ。たまに忘れる大人がいる(うちの上司様みたいに)。これを忘れると、ただの駄々をこねる子供と同じです。
あの人たちはアイドルですが、それはもちろん「職業」がアイドルです。社会人なんですね。しかも、10代から仕事をしている。
そんな人たちに、感覚だけで、すごい、だの、わからない、だの、できない、だの、言う。それは大変失礼なことで、それを言うことのなにが大人か?とおもうのです。
(ちなみにこれ、多くの社長会長を相手に渡り合って仕事してきた、出来る方の上司様も同意見といってたので、間違いはないとおもってます。笑うしかない。)
 
傘蟻が出たとき、ゼロでしょーちゃんと話したときは、ホストとゲスト、インタビュアと作家という立場だったのですが、このスピンオフに関しては、「鼎談」でした。
つまりは、3人が、フィールドは違うけど、同じ立場で話す、と。
 
同じ立場で話すことができるということは、自分の中に確固たるなにががあるということですよね。しょーちゃんなら積み重ねてきたキャスター歴、智くんなら二度目の個展や日々向き合っている作品、しげあきなら年一で出す単行本、その四冊目が上梓された、という。
どんな相手であろうと、それがあるなら、気後れすることなんてないんです。よ。
 
異業種でありながら、三人とも対等でした。学年で言えば、しげあきからみれば智くんは七つ、しょーちゃんは六つ上になりますが……そこに何かの「線」…ボーダーラインはなかったように見えました。単にグループが違うというだけで、…あえて言うならそれだけで。たまたま嵐だった、たまたまNEWSだった。それだけです。(あえて比較してみます)
タイプライターズで、又吉さん、浅井さんと話したあのときと、なんの差もないのですよね。
嵐はあんなノリですけど、実際は全員が全員頭がいいひとたちなので、そのへんの見極めはできてるんですよねたぶん…その二人があんなだったんです。それが答えな気がします。
 
天才ではなく秀才で、阻まれつつ己のやれることを模索し続け、継続し続け、そしてまだ模索し続ける……
「NEWSの加藤シゲアキ」ではなく、「一個人としての加藤成亮」……己という領土をきちんと把握して、度胸と度量でもって相手と向かい合うことのできるひと。だから、わたしはしげあきがすきなんですねえ。
 
本人は、智くんのおかげで、みたいなことをよく言いますが、おそらく智くんが個展をやらなくても、書いたんじゃないかなとは思ってます。そんなんじゃないでしょう、書きたい衝動って、っておもう。浅井さんでしたっけ…三大欲求にたとえていたのは(タイプライターズ。違ったらゴメンナサイ)。それと同じというならば、誰が何をしようとしげあきは書いたとおもうし、いつまでも書くんだと思います。個人的に。生きる衝動を何にぶつけるかの話であってそれは個人差があり、間違いなくしげあきにとっては、書くこと(そして撮ることも)なんだろうなとおもうのです。
 
そういう、「己という領土を開拓するエネルギー」は、ときに白刃のように研ぎ澄まされた言葉にもなるし、淡い紅の音楽になるときもあるし、深緑のような笑い声になるときもあり、
……RINGの蝉さんの話で、あんなにも色鮮やかになり、なんならわたし、悔しくて泣きましたけどね、あれ読んで。こんなファンおらんわ…と白目むきかけましたけど(マジで自分でゲンナリ)、あの胸苦しさにぼろぼろ涙がでたのは事実です…電車にいたのに…
 
もう少し生きてみたい。以前彼がいったことです。
もう少し、とは、絶望の先、もう一歩踏み出したい、諦めたくない、という…そんな彼だからこそ見える日常のごくごく一部が、あの「感傷的鑑賞」だったのでは、ともおもいます。
 
そんな、苛烈なほどの、「生きたい」という欲求に、わたしはたぶん、わたしの中の苛烈さを預けることができるのでは…ないでしょーか。
 
…と、ごくごく当たり前のフツーのことを話してみました。
おともだちが「シゲちゃんがやっとここまで見せてきたけどまだまだだね」って言うくらいなので、ほんとに序の口なんでしょうけど(いやどう考えても…)、どんどん歩みを進めるあの子に負けたくないと、そうおもうのでした。
 
(なにに負けたくないのか、と言われたら困るので先んじて書きますと、たぶん、生きたいやつじゃないですかね。絶望するってことは生きたいからするんであって…だから絶望の先をみたいからしぬ気はありませんし、彼をみててしにたくなることなんて一回もないもの…胸かきむしられそうになることはあっても、それこそ、生きてみようとしか思えない…これはてご担さんにも似たようなこと言う方がおられますけども…)
 
……。
「すごいのはなし」、どっかいっちゃった、スミマセン(苦笑)。
でもまあ、そういう感じです。全部が全部、補足なのは、間違いないです。
 
補足であり、
蛇足でしたけどww (自分で失笑)