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星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

ask回答:『手越さんのソロについてどう感じたかを「詳しく」奏者もちさん目線で聞きたいです』

※翌日7/28に追記です。ピンク文字のところが追記です~。これ書こうと思ってましたがおともだちに確認取ってから、と思ってたら書きそびれてましたww。ピンクなのはてごちゃんの色だからです。
(まあ、最後に緑もありますけど)

 

ご質問ありがとうございました!
「ネタバレになるけど」、ってありましたが、それでもやっぱりこの答えはオーラスが終わってからにしたい、とおもってたんですけどオーラス終わってからどんだけ経ったよ!っておもってもう…本当にすみませんでした…!!(送った人の予想がついてるからって甘えすぎました土下座!)

各人のソロ、とありましたが、しげあきのESCORTについてはこないだ答えたし、小山さんとますだくんのソロについては別格に難しいので、今回はてごちゃんのソロ「あなた」に絞って答えたいと思います。
「詳しく」にはカッコついてるし、と奏者という単語もあるし…ハードル高すぎます正直!><
……というか、あの一万字が出てから書くこと自体が、もんのすごいアホで不粋な気がしてる…んですけど、せっかくなので書いておきます。
一万字には触れません(なるべく!)。ただ、わたしが思ってることを、感情のままに書いてみます。

(そして感情のままに書いてみたらaskの文字数制限に引っかかりました~~こわい!いくつかask答えてきて初めてやらかした!>< というわけでブログに飛ばしました…以下たたみます。)

こういう質問でした。

NEWSのWhite魂名古屋2日目の昼公演に行きました。とても幸せなライブでした。 中でも魅せ方や歌声に重きを置いていたように思いました。 そこで各人のソロについて感想が聞きたいです。 特に(ネタバレになるけど)手越さんのソロについてどう感じたかを「詳しく」奏者もちさん目線で聞きたいです。よろしくお願いします。 

 

演奏者としてのわたしですか…これほんっとにask史上稀にみる重大案件でしたよ…。
では、わたしが見た、聴いた、演奏者としての、手越祐也

長くなりますからね。ほんとに。心してくださいね。しかもきもちわるいから!!

 

一言で言えば、素晴らしく、誇り高く、尊敬に値する、そしていとおしい。これに尽きます。一言じゃなくて一文になってしまったけど(早速…苦笑)。
やさしいんですよ、てごちゃんって。ほんとに。ほんっっっとおおおととおおーーーーに!!

彼の音楽的センスは誰もが認めるところとはおもうのですが、
……演奏者にとって必要なすべてを、おそらく手越祐也というひとは備えているのです。

たとえば、あの何万人という人の前で、ただの一人で弾く、精神力。
自分の指、手をコントロールする、声をコントロールする、そういう自分の力を、自分の意識で支配下に置く精神力。
たとえば、短期間で仕上げる集中力。オーディエンスの反応がどう出るかわからないところで弾く集中力。事実、あんなところで声かけられたら普通のピアニストとか腹を立てて投げやりな演奏するか、弾かずに帰るか、弾いても二度と来ない、とかになりかねませんよね(そういうピアニストを知ってます。世界的に有名な方が、主催者側のミスで来なくなってしまったのを。現場にいたので)
けど、彼はピアニストでもないのです。アイドルです。そこの仕事はきっちりやります。だからこそ余計にうつくしい。
でも、…ええと、ここだけ一万字の言葉を借りましょう、
ジャニーズ "なのに" ピアノを弾く、ピアニストでもないのに、ましてや音大生でもセミプロでもないのに、ピアニストのようにピアノを弾く、
なのです。

特に素晴らしいのは、間(ま)の取り方と、和音のバランス感覚。
これこそほんとに感性と天性でしか持ち得ない、そして努力でしか伸ばせないもの、なのですが…

最後のカデンツ(これどこかわかんなかったら訊いてください)。あの間の取り方と、主和音→属和音→主和音のバランス、一切耳につくことのないペダリング。呼吸。
こんなにも緊張感があり、こんなにも最後の一和音に安堵する……カタルシスを憶えたのは、わたしはたぶん、近年なかったとおもいます(職業ピアニストは別ですが、趣味や学生とかでは一切聴いたことがないでしょう)。
彼が演奏することは、ほとんど、奇跡です。

また、小さな音。これはTLやブログでも書きましたが、ほんとうに小さな音を出すことは難しいんです。針の穴を通すような作業、と、ありきたりな表現をしますが、まさにそんな感じなのです。息を詰めて、指先を針金のようにして、腹筋背筋に力をこめて、肩の力を抜いて、……鍵盤にすべてを落とす。
その力加減がどれほど難しいか。
……それが成功したときに弦の向こうから顕れる音が、どれほど美しいか。

そして、繰り返しますが、和音のバランスがまた素晴らしいです。間の取り方とおなじく、これは世の先生方、ステージママさんたちが自分のところの子に身につけさせたいものとして躍起になってしまうものですが、これも本人の耳なんですよね。持って生まれたもの、そして、その子が持つ…なんというのかな、衝動、みたいなものかもしれないです。

「自分の音とはどういうものか」という、楽器と自分との、果てしない問いかけ。

それだけでも充分なのに、それらをやりながら、同時にそこから発せられる声は、恐ろしいことに四方から聴こえました。ホール自体が教会のようだった。後ろから、耳元から、歌声が聴こえるというのは並大抵のことではありません。

ついでなので、みんなきっと手元ばっかり見ちゃうとおもうんですが、彼の姿勢、どうでしたか、綺麗でしたよね。歌うときとおなじように。
「普通にテーブルにつくようにすわりなさい。ピアノとはそんなに変な姿勢で弾くものなの?」
これがハタチになろうとしてるわたしに向かって言われた言葉でした。
西洋人は自然な姿勢でテーブルにつくのとおなじように、自然な姿勢でピアノに向かう。そんなに歪な姿勢にはならない。姿勢が崩れれば音も崩れる。頭が下がれば音の行き先も下がる。これがわたしの今の姿勢を形成するレッスンの言葉たちでした。てごちゃんはそれができてるんですね。
歌うときとおなじ、無理のない姿勢。これまた、難しいんですよね。まあグールドレベルになると違うんでしょうけど~~~(引き合いに出すのがおかしい)。
(ちなみにこれが、チュムチュムでしげあきが~~~!ってわたしが悶絶したやつでもあります)

また、これももしかしたらみなさんあまりご存じないかもしれませんが…楽器を弾くときに、…ありきたりに言うと、『心をこめて弾くとき』に、こう表現します。

『うたう』

と。
レッスン中よく講師側から「もっとうたって!そんなんじゃ全然通じない!何が弾きたいの?!」とか怒鳴られるわけです。それこそわたしの場合小学生のとき初めてきいたときには「ハア?声楽じゃないんだから歌えるかよ!」って内心ツッコミましたけど、でもこれはおいおい感じ取ることができました。

ひとは楽器を通して自分の感情を『うたう』んですね。
演奏中の人間の行動を表す言語って、ほんっと面白いですよね~~~~。

 

と。
長々書きましたが、これ、全部基本中の基本なんですね。教えてた頃はこれを基本的に教えてました、端々で。たとえ大人になっても、レッスンやめても、これが根付いてくれたらきっとピアノをすきでいてくれるだろうなって。事実そんな子もいますし。
個性とは基礎があってこそ、映えるものです。とはいっても、高校生くらいまではなかなか難しいことではありますが。
なのでてごちゃんは、基礎と個性が同時に存在するという、非常に稀有な存在でもあるとおもってます。それはひとえに、彼が真摯な姿勢で自分の未熟さと向き合った結果だろうともおもうのです。
ノーブルだな、と思います。チュムチュムで書いちゃったからいうけど、しげあきもですが、とても姿勢がノーブルなんですよ、ね。あ、もちろん『姿勢』というのは見た目のことだけではないです、念のため。でもほんとにノーブルなんです。この単語ふと使ってみたけどやたらしっくりきた。ノーブル…

そう、技術的につたない部分もありました。それは本人もわかっているようでしたし(インタビューなどで言ってた気がする…違ったらごめんなさい)、ただ、ツアー中に向上する技術、表現力、そういうものに敵うものはないんです…それが「演奏」というものの一つの側面でもあるとおもうのです。人間の欲望というか。

一音前の自分を超えないと、演奏は先に進めない。
んですよ。たぶん。きっと。

技術的にうまいことや、ミスタッチなどがないことが、イコール人の心を動かさない、などと安直なことに繋がらないのは、少なくともわたしは、身を以って知っています。ミスタッチしまくったってグランプリとかとれましたもん、たとえ地方のしょぼいコンクールでさえ。それはどうやらひとえに、訴えかける何かがあった、とか、感性だった、らしいです(いろんな人から口々におなじようなこと言われたら嫌でも覚えますわ、特にその頃、「大人って信用ならない」って時期だったしなww)。自分のなんて録音してないんで知らないですけど、でも、そう言われました。自慢か!って感じですけど、いまとなってはそういうことなのかと…そういう、とは、つまりてごちゃんのことなのですが。
自分でもよくわからないけどみんなそう言うんだからそういうもんなのかな(白目)と、その当時は理解しきれなかったものを、10何年も経ったいま、聴き手として知ることになるとは、それこそ当時は想像できなかったや、とおもいます。こういうものだって糧になり得るんですね~としみじみ。

そう、NEWSは、とくに今回のツアーに於いて、わたしの「クラシック出身である」という、半ばコンプレックスのようなものを、肯定していきました。あまりのことに涙が止まらなくなるほどに。

 

話を戻します。
とかく、彼は耳がとても良いですね。耳がよく、そしてそれを自分で咀嚼しようとする心と、その力量があります。
伝えようとする心。音楽がすきだという心。

ひとは絶望して音楽を求めます。音楽を聴いてまた絶望します。
でもそれって愛があるからです。伝えたい愛があるから無力な自分に絶望する。

歌に限らず、彼からはいろんな愛を感じます。
たとえば、ピアノやってて気になるのは、やはり移動すれば必ずつきまとう、弦の狂いです。えーと、「ピッチ合ってない」ってやつです。
ピアノは基本、木でできているので、湿気に弱く、また合計するとトンの重さになる力で引っ張り合う弦を内包しているため、動かすと必ずそこに狂いが生じます。弦は移動だけではなく演奏そのもの(打鍵)によっても狂います。ピアニストの演奏会で、休憩中に調律師さんが調律してるのはそのためですね。
でも、その狂いが「あなた」の演奏中、気になったことはありませんでした。…楽器の側面がボコボコだったのは気づきましたが(それはそれで泣けるんですが…)、それでも、
「うわーピッチ狂ってる調律してくれよおお><」
と、耳を塞ぎたくなることは、わたしが参加した公演ではただの一度もありませんでした。
てごちゃんやスタッフさんがどこまで調律に気をかけてくれているのか、わたしはもちろん存じ上げませんが、それでもわたしの耳はそれなりに鍛えられてるので、狂っていればわかります。

しかし、それがなかった。これだけでも恐ろしく、そして最大に嬉しいことです。

彼はただ弾くのではなく、楽器をいとおしんでくれたのだと…それはペダリングだけではなく、楽器のメンテナンスにも表れているのではないかとおもうのです。
調律師さんを毎回呼ぶの、お金かかるんですよね~正直。だからどこまでやれてるかわからないけど、でもそれでも気にならない程度にはしてくれた。もしかしたらわたしが気づかない程度だっただけかもしれませんがそれでも、そこに音楽的齟齬が生じるほどではなかったんです。涙が出るほどうれしかった。
弦の狂いがない、とは、ピアノをやってる者として、心底、嬉しい事項のひとつです。
たかだか、一曲のためだけのグランドピアノでしょ、とあしらわれてもおかしくないくらいのことです。だってクラシックのコンサートじゃないしww。って言われるのって当たり前だもの。

バックステージのことはもちろんわかりませんが、事実、音の狂いが耳につくことはありませんでした。……これが実は、狂っててそれをカバーするだけの力量がある、となると、それこそ彼はスーパーマンになっちゃうんで(苦笑)、調律してくれてた、ってことにします。ともかく、頭が下がることに間違いないです。
彼はピアノをいとしんでくれてる。自分の歌と同じように。

詰まるところ、音楽って愛なんですね。………抽象的ですねぇ、すみません(苦笑)。
でも…うーん、彼の曲を聴いてしあわせになったり、はっと顔を上げたり、すこし元気になったり。
それってたぶん、てごちゃんが人を愛してるからだと思います。
そして、おなじくらいに、彼自身を含む楽器を愛して、曲を愛して、わたしたち聴き手を愛してくれてるんですね。
だから、歌ったときに、いつも笑えるんですね、あの子は。
演奏したとき、し終わったとき。微笑むことができるというのは、ほんとうにすごいことなんですよ。アイドルだから笑うのではなく、音楽を伝えてこそ笑うのだろうなと、そうおもっていつも見てます。ソロだけではなく他の曲のときも。

 

……うん……すげー恥ずかしいこと言ってますけど、本気です。わー恥ずかしい(どっちだ)(本気です)。
…一人相撲はいいや、進めよう。

 

技術的なことではなく、ただひとえに音楽的であるということは、その一音と、その、一歩先を目指すというその繰り返しであって、それをやる手越祐也は、ほんとうにかっこいいんです。

わたしのすきな本に、こんなセリフがありました。

「そしていつの間にかピアノが自分の武器になっていく」
「その人が生きる手段というのは、その人の武器になるんです」

てごちゃんにとってはきっと歌であり、音楽そのもの、コンサートそのもので、ええと、言ってしまおう、しげあきだったらこれがきっと小説、若しくは物書きそのもの、なんでしょう。

ひとは毎時、たとえば空の青さだとか、素敵な声だとか、美しい文章とか、悲しい事件とか、難しい仕事とか、やさしい言葉に絶望して生きてますが、それを積み重ねて積み重ねて積み重ねて、生きる手段にすることができるんだとおもいます。
それを、てごちゃんは表現…体現してくれたんだと、わたしはおもってます。
ついでに言うと、さっきしげあきを出しましたが、彼はこれを小説でやってるのだと、おもってます。個人的にね!だからしげあきも「演奏者」としてのわたしを相当刺激する人物です。作曲能力だけではないんですね、わたしの中で彼の音楽性というのは。
ともかく、わたしの中で、てごしげの音楽性には果てがない。です。

えーと…すんごい変なところに着地してしまいました…ね…。
てごちゃんの音楽については、おともだちのてご担当さんに素敵な文章を書く方がいるので、そちらを参考にして欲しいですが、…まだ上げてないんだっけな?

とりあえず、「演奏者」としてのわたしが言えるのは、こんなかんじです。まとまらないんですよ~ほんと…困る…それほどに彼の音楽がすきです。

演奏者・手越祐也を、わたしは、尊敬しています。

あ、誇張じゃなくて。ほんと、マジッス。(いきなりフランク)

 

いつまでも果てのない問いかけを続け、哀しみも愛も悔しさも、すべて言葉で語るように音楽で伝えるやさしさが、いとおしく狂おしく、そしてもう頭を下げるしかない。
ありがとうありがとう。生きてて良かった。聴けてよかった。
最後に、敢えてゆうやって呼びますね(コンサートの最後、「呼んで」って言ってたからですが、担当でもないのにほんとにほんとにすみません…!)、それで結びたいとおもいます。
長々と、わけわからんことを書き綴ってすみませんでした…ここまで読んでくれた方がおられましたら、御礼申し上げます。

ゆうや。弾いて、歌ってくれて、何より笑ってくれて、ありがとう。だいすきです。

 

 

 

 

そして、追記。この記事を上げたあとにふと思って呟いたこともメモとして書いておきますね。念のため(笑)。(そしてこっそり誤字訂正)

ちなみに自担のソロのaskのが断然短いじゃねーか!っていうツッコミをお持ちの方に哀しいお知らせです。自担については割と七割一分一厘くらいのかんじなので、今回の「あなた」を100だとすると自担についてはこの記事の軽く1.5倍は胸の内にあります~どうもきもちわるくてすみません…

 

いつまでもショパン (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

いつまでもショパン (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

 

せっかくブログに書いたので、引用した本を紹介しておきます。彼とたまたま同い年だったことに、ちょっとだけ意味を見出したい気分になりました。