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星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

”Sweet Martini”と、規則性のなかにある不規則さ

コードネームが読めません。


セーラーVではないです、音楽用語です。よくギターとかにあるじゃないですか、これです。これ。

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▲このアルファベットの”Em7”とか


クラシック音楽を中心にやってると、これ、読めません。理由は単純です。「接点がない」。(というか、別の書き方をします。)

読めないくも書けなくもなくて、ただ単に慣れてないだけで、両方できるんですよ。ただ慣れてないだけ、ほんとこれで、タイムラグがハンパない。とくに7、9というポップスやジャズだとあたりまえな数字が出てきても、クラシックにはそこがなかなかないものだからすぐに手が動かないのです。

そう、読める、ってのは、つまり、「すぐに手が動くかどうか」と同義といっても過言ではナス。


で。

ともだちはコードネームは読めるし耳コピはできる。でも楽譜はまともに書けません。6/8拍子を3/4拍子表記で書いてたときには仰け反ったし、わたしの日程が合わず別に伴奏頼んだ相手からも「楽譜を書ける、拍子を数えられるのは基礎中の基礎」と怒られてるのを見て、なんだこれ面白いなと思ったのでした。あ、うん、面白いなと。


要するにクラシックで生きてきたわたしの構成要素はクラシックだし、ともだちは(親がクラシック畑だろうと)ポップスの音を手が勝手に紡ぐタイプなのだから、真反対ではあるし、そもそも用途が違うのですよね、コードネームと和音記号って。だからどちらが違うというわけでもないし、どっちも音楽。

だけど、二人で組んでやるとなると、そこのすり合わせがたいへんでたいへんで(笑)。基本的に即興ができるわたしだって、申し訳ないけどコードネームだけじゃ相手の和音のイメージ全部つかめるわけではなく、

「コードネームでもいいけどピアノ伴奏だったらどれが根音(一番下の音)になるかで意味変わるでしょ?!」

というマジレスをする始末www
ただ、これをお互いに笑い飛ばせるのはいいなあ、というか、「垣根なく」「お互いに尊敬して」いるのだと思うのです。


……というのを、
”Sweet Martini”*1を聴きながら思ってましたw
いやあのね、あれってバックもたぶん生音じゃないですか。ドラムスの"ツタタタ"が完全に均一ではないのがすごーーーーーーくすきなんで、今日お仕事しながら聴いててやっぱりそういう生々しさみたいなのがすきです。またこういう曲やってほしーなー! もう1年かあ! 早いね!

規則性のなかにある不規則さ、というのがおそらく人間性なのではないかと、思うわけでした。


だからYちゃんには6/8と3/4のちがいを叩き込もうと思います(にっこり)。

 

ちなみに、コードネームに根音を持たせるとこうなります。(分母みたいになってるところ)

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ちなみに、これが”チャンカパーナ”で、最初の画像が”Dreamcatcher”。

……7と9ばっかり!!!!!!!(白目)

いや知ってるけど! その方が音と世界観が一致するの知ってるけど! でも多い! ちょー多い!!! くやしーーーーーーーーーーーー

 

 ▼参照はこちら

NEWS/ピアノ・コレクション オフィシャル・スコア

NEWS/ピアノ・コレクション オフィシャル・スコア

 

 

*1:言わずもがなの”チュムチュム”のカップリング

一歩

そういえばいまふと、ゆうやさんがいざないづきのときにセンステに上がってくるときの景色を(上手の後方、スタンドの位置から)見えたのがフラッシュバックしたんだけども、あれをなぜか「孤独とたたかう」と呼びたくなるのに気づいた。いやマジでいまふと出てきた言葉なんだけども。


こないだ書いたゆうやソロの感想が雑すぎて自分の精神状態がとんでもないなあと自覚したところだったんだけど(あれはあれでひどい心持ちだという覚書で恥をさらしておく)、たとえばああやってアウトプットするひとたちを見ることってある意味安定剤みたいなもんであって。

ゆうやソロのみならず、ここでは公開しないであろうじたんソロの感想も、やはり孤独とたたかう、になるのだろうなと思うのです。


じたんソロについては、読書体験読書体験とラジオで何度も言ってた通りだろうし、なるほどそうやって提供する「読書体験」があるのか、とちょっと歯噛みしたくなるし。本当に毎度毎度、そこにあるものを間違わずに、伝えるように読むことから、咀嚼して一度自分のものにしてから言われる「君なら わかるだろう?」には何度もムキーーーーー!ってなったんだけど(ここ深堀すると大変であるので今回は割愛)(そしてあくまでもキャーーー!ではないのがかなしいところ)、どちらにせよそれは孤独とたたかうこと以外になくて、そこから紡ぐ絆のためのなにかなんだよな、と思ったわけです。

 

なんで弾くの?
なんで書くの?

 

わからないからやってる気はするけど、でもそこから何かつながるからやるんだろうってのはなんとなくわかるし、そうじゃないコンテンツがひたすら空虚であることももうわかる気がしてる。

 

制限というのはあるほうが実は望ましい。だけどそこに情緒が持たせられないのならそれは単なるカオナシだ。

 

と。

 

孤独とたたかうために書いたり歌ったりすることと、
孤独に書くこともちがうし、
書いてて孤独な気がすることと、
結果ひとりきりだったこともちがう。

 

ただやっぱりあのとき、センステにのぼってくるゆうやさんも、ドームのいざないのしげあきも、その一歩、というのは、死地からの一歩であるのはまちがいないといま、やっと思う次第でした。


9/15になんてこと書いてんだと思うけどww

でもたぶん、そういうNEWSだからすきなんですよ。それだけです。

おめでとう。ありがとう。これからもそうやって紡いでくれたら、と、切に願います。

そうやって生きてるのをみてると、こっちもさらに生きようって思うからね!

 

 

(ちなみにちょっとだけ深堀するとあの読書体験の手法は昔わたしが関わってたやつに近いんだよ!完全なる上位置換ぐやじい (;ω;(;ω;(;ω;`))

今更ながら『encore』について ーQUARTETTOのソロ覚書ー

3ヶ月が経とうとしている今なぜ書こうと思ったかと言われたら、単に自分にとって「宿題」みたいなもので、誰得でもなく誰に言われたからでもないんですが、それでも自分の宿題は片付けたいなと……ロス状態にも慣れてきたというか(マジで昨年に引き続き体調崩す)、あと仕事にもだいぶ踏ん切りついてきたという感じなので。「おっそ!」って言われそうですけど(苦笑)。

 

 なんども生き直す

今回のゆうやさんソロの醍醐味はここにあった気がします。おともだちも言っていたけど、イントロのピアノの音だけで、しかもそれが録音であるにもかかわらず、その日のコンディション(感情)がわかるきがする。いや、その前の指輪を見るその視線だけでわかる気がしていました。

個人的には名古屋1日目がしぬほどつらくて(これはほめ言葉ではない方ですし、これを共有できるのは今もなお一人だけですので説明カット)、だからこそ翌日の『encore』で本アカで発狂したわけでした…名古屋2公演目終わったあとともだちと抱き合って泣いたのもいい思い出です。

それほどに今回のゆうやソロは、言うなれば ”裸” だったなあと。

なんかの雑誌で言ってたと思いますが、「そのときのグルーヴで歌っていた」。これができるのはすごいなと思う。しかしその分、オーディエンスの影響も受けやすいなとは思っていました。諸刃の剣といいますか。

 

ただ何よりすごいのは、その変遷です。

CD音源から生の歌になる。これあたりまえのこと。それがたぶん、何というかな……その人(『encore』の主人公)の中でだんだんと思い出になっていくようなさまがすごいなと思っていました。

それが、生き直すってことです。

 

生歌の何がきっついかというと、たぶんその、おそらくゆうやさんの性格からして毎度毎度その都度その都度が「その時」であることがつらいんですが、それがだんだん思い出に変わっていくさまが今回一番わたしの中で大きな変遷だったと思っています。

どの回が一番すごかったかというのはどのツアーでも言えることではないけど、福岡では一緒に泣いた気がしたものが名古屋2公演目では確実に笑顔だった。これは発狂するかと思うくらいの美しさで。仙台2日目はもうきっと自分の手をすこし離れたのかな、と思わせるほどに自然でした。悔恨も何も一度巡ったからこその笑顔というか。

後悔に滲むさまも、それを越えてそっと手放して次のしあわせを願っているかのようなさまも、すべて彼の演奏であって、演技であって、内から滲み出る『生き方』なんじゃなかろうかな、と。

それを惜しげもなく、音楽という手段を使って、裸になって魅せてくれる。その生き様のなんとかっこいいことか。

 

「もちをは現場の方が手越担」って友人からそれこそオーラスくらいの現場で言われましたが(笑)、いやあれだ、音楽を少なからずやってる人にとってあのひとそういうもんだな、と思いました。じたんの表現力とはまた別所にある、裸の表現力みたいなものに、わたしは毎回惚れ直すだけです。

 

まあ手越担じゃないから深いことは言えないんですけども。あっ石投げないで! マジでゴメンなさい!!!!

ただゆうやさんが歌を通して(もちろんバラエティもだけど)ひとをしあわせにすることは天命なのではないかと思うんですよ。

 

生きるってことは大変だけど、それを歌に音楽に言葉に旋律にのせて、そして最後に笑うことのできる手越祐也をわたしは、やはり尊敬しているのです。

 

「音楽って 気持ちを伝える手段でしょう」

まさにこれだと思います。

 

映画『ピンクとグレー』観ました(2016.01.13)

ふと気づいて当時の避難場所から移植しました。一切手は加えてません。今の自分へ送ろうと思います。バットで。あっちもコメントがあるから消さないですが、これはこれで自分への自戒で残します。にしても3時間事件ってまだツアー前かよ!すごいね!

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ask回答:NEWSツアーQUARTETTO、どんなポイントがツボだったりしましたか。

もちさんこんばんは。せっかくなのでこちらで質問させていただきますー。今回のNEWSツアーQUARTETTO、曲だったり、ハモだったり、モチーフがクラシック、という非常に面白いものだと思ってみているのですが、クラシックの素養があるもちさんは今回のツアー(ネタバレできるようになってからでよいですが)、どんなポイントがツボだったりしましたか。存分に語っていただけると。


ご質問ありがとうございます! なんとなくまとめたいのでこっちで回答させていただきます。
どんなポイントがツボ…かあ。うーん、そうですね、ひと言でいうと、「コンセプト」かな!

昨日のシゲ部に合流したのがちょうど「星の王子さま」の質問に対する回答をしていた頃で、なぜわたしが遅れたかというと友人がやるというライブについてLINEでゴンゴン話し合っていたからです。そのときにもその「コンセプト」の話をしていました。

わたしたちが何であり、わたしたちが表現したいのは何であるのか。

これがブレると事故るよね!!
っていう話です。Twitterにも会話キャプチャしてあげてしまったけど(苦笑)。

つまるところ、QUARTETTOツアーはその「コンセプト」がしっかりしていたんだと思いますし…………………っていうかそもそもお金もらってやってるプロなんだからそこがないと困る!というのはさて置き。置いても、ですが、しげあきが「四人の"QUARTETTO"はいかがだったでしょうか」と毎度最後の挨拶あたりで言っていたのはこれではないかと思います。

クラシック音楽とNEWSの関係についてはこれからも思い巡らせていくものになるかと思いますが、まずはこの原点回帰…これはグループの、とかではなく、ただひとえに「音楽として」の原点回帰のようなさまざまなアプローチをしていくところがまずツボでした。

「QUARTETTO」の四声体のハーモニー。それ以前にまず「Theme of "QUARTETTO"」で見せたのは「声以前(歌以前)」にあたる音の波動…人間がそもそも生まれついて持っている"衝動"から生じる音、だと思えました。「いざないづき」では以前のエントリにあるように、少なくともわたし個人の音楽にひたすら近づくさまが見えました。「四銃士」は今ここで語ることももはやなく。「Wonder」は生死の闘いであり、「シリウス」は人が人を恋うときの祈りであったと思います。
変化していく「Departur」。コンセプトのなかにさらに内包される四人それぞれのソロ曲のコンセプト。変化さえもコンセプトのひとつなんでしょうね。


四人で奏でる。これが公式のコンセプトではあると理解していますが、ではそもそも「奏でる」とはなんなのでしょうか?

それらの答えがあるとしたら、上記のようなことだとわたしは考えます。人間が持つ動作(所作)、心の機微、不意に飛び出る声、……そういうものと向き合うことや、それを「表現」に精査していくことが音楽の世界の構成要素にあると思っていますが、このツアーはそういう「土台」を確立したように見えました。確立したな、と思ったのは「いざないづき」のダンスが加わったとき…かも知れないです。


コンセプトってなんだろう、よくわかんないや(書いといてアンタ)。
でも何がツボだったかと言われたら、「音楽と闘うこと」だったのではないかと、思います。

 

全然存分に語ってないですねwww でも一記事で書けるほどではないので、今回はざっくりとこのあたりで、ということで受け取っていただけますとうれしいです。

 

QUARTETTOツアーにおける四銃士についての補足のはなし(イルミナートフィル)

先ほどので、忘れていたことがひとつ。
オーケストラ側…イルミナートフィルのはなしです。

何がすごいっていうと、「あの劣悪な環境であれほどの精度で演奏をするという賭けに勝った」ってことだと思います。

たった二曲、たった10分ほどのために、60人ほどの人数と楽器という、二重の生き物を動かすのは並大抵の覚悟ではありません。楽器は生き物です。

そして、コンサートはナマモノです。

お客さんが入ってる状態と、入ってない状態では、反響とか吸収とか、ぜんぜんちがうはずなのです。しかもドームなので万人単位。
これ、賭けと言ってもさしつかえないと思うの。劣悪なって表現して問題ないと思うの。

でも、それに乗った西本先生とオケの皆さんは、ほんとうに、芯からの演奏家なのだと思います。

楽器は生きてて、音も生きてる。ただそれだけのごく単純なことを、わたしたちは見落としがちです。

すごい、って思うだけでいいと思う。本当にそれだけでいいと思う。メンバーが頑張ってエライ人連れてきた、と思うだけでいいし、金かかってんなーすごくなったなー!ってのでもいいと思う。

でもその裏で、いくつもの闘いがあったはずで、そのリスクを背負ってでもあの東京ドームであれほどの音を鳴らしたイルミナートフィルは、本当の意味で音楽的なのだと思います。

その、人間の情熱を、わたしはただ「ジャニーズがすごいことやった」で済ますのは失礼だなって思うんですよ。
音楽って、しかも生の現場って、生きるか死ぬかの戦場だからサ。

音は生きてる、楽器も生きてる。それだけは伝わったと、信じたいです、わたしは。

QUARTETTOツアーにおける四銃士とクラシック音楽について雑感

Twitterで「何書こう?」投票したら案の定変な経過をたどってます。というわけで結果出てないけど需要はそれなりにありそうなので今回は四銃士について書きますね。

これって、ドームだけのイルミナートフィルオケについてですよね?そうじゃなかったらごめんっていうかむしろそうじゃないと投票しないと思ってるんで書きますよもう…

オケを呼ぶことについては前々からみんな期待してたし、それこそわたしサポロで初めて星めざを聴いたときに オヤヤヤ?? と思ったんですよ。あれ編曲してあったでしょう。特に気になったのが大サビ前の音が上昇する…みんなのペンライトが上がるところ。あそこのストリングス隊の螺旋の描き方がおよよよよ?案件だったんですよ。あー少なくともこの2曲はなんか仕込んでる、もしくは企んでるなって。

何度も何度もいいますが、にうすはとてもクラシカルです。音楽がクラシカルってなんぞ…って今思ったんだけど、それを紐解くのがこのシリーズなわけですのでまあ自問にもお付き合いくださいすみません。

クラシック音楽って前も書いたけど「わたしたちが生きてるこの時間軸からみたクラシック(古い時代)の音楽」なんですね。なので繰り言ですけど、当時の最先端アイドル音楽だったときもあります。例としてフランツ・リストとか。あとは過去記事参照してくださると幸いです。

わたし、忘れられないことがひとつあって。
高校受験のとき、久しぶりに小学校から仲良いともだちと帰りが一緒になって(部活がちがうとよくあるやつ)、そのときに音高行こうかなって思ってるーって言ったら

「えっまだピアノ辞めてないんだ?」

って言われて。アッそうなんだ、ピアノって「辞める」ものなんだ?!ってカルチャーショック受けました。まあ未だに辞めてないんですけどねフフフ、でもまあ一般的な…一般的とは「音楽を習い事にしてこなかったひと」のことですが…ここから見たらまあ確かに正気の沙汰ではナス(真顔)。

そういうこともありつつ、やっぱりねえこう、クラシック音楽って意味わかんないーって言われ続けたりするとさ、こう、もう、こっちも自意識が邪魔してこじらせるんですよ。ぶっちゃけこじらせてる!うん。これを読んでるそのへんのアナタわかるでしょ。こじらせるよね(真顔で私信)。

そんな中で、にうすはブラスバンドを呼んでくれたり、アンプラグドでもアコースティックなことしてくれたり(でもあのピアノゆるさない)。こういう、「異業種交流」的なことをしてくれてたわけで、それがとっても嬉しかったんです。(異業種交流になってるこの現代がそもそも間違いな気がしますけどね…)

つまり、

そこにボーダーはない、と。
そこに、「クラシック音楽は特別扱いしないと」という「差別」はない、と。

そう、あのね、差別ってさ、下に見ることだけで発生しませんよね。上だろうがなんだろうがそこに線引きをして「わたしとは違うから…」ということ自体が差別です。差別。ツラ。(ヽ´ω`)
これが積み重なってこじれていくんだけど、たとえばそんなブラスバンドや、チュムチュムの音作りや、テゴマスメイキングにあった音響のこととか、ハモりの細かさとか、"QUARTETTO"のイントロアウトロのハモとか、そういうのが少しずつ少しずつ、わたしの溝を埋め始めたんですねえ。

そして、そもそも、ゆうやさんの歌い方がとてもクラシック音楽的だということが大きいと思います。これはいまになるとしげあきも同じなんですが(このへんはまた別問題かな…?)。


演奏するときに一番大切なのはなんでしょうか。さてとりあえず考えてみてくださいね。リコーダーを人前で吹いたときとか思い出して。

………。
考えました?

いろいろありますけどね、大事なこと、あるんです。いっっちばん。

聴くこと。自分の出した音を聴くことです。

フフフこれ、他人だったらやるでしょ、でも自分だと忘れがちでしょう。そういうちょーーー基本的なことですあははははつまんないね!

でも。

聴くことは問いかけることです。己の音がどうであるか常に、瞬間的に問いかけ続けて音の粒を連ねていくのが音楽の根幹にあると思います。たった一音、一音を探して彷徨うのがわたしたちのしごとなんです。
ゆうやさんは昔っからそれができてたし、わたしが見る限りしげあきはこの2年のツアーでそれがすさまじくレベルアップしました。常に自分に問いかけながら歌うからオーディエンスなんて見ないんですよ。あれ見たときにどれほど嬉しかったことか。どれほど嬉しかったことか!!!どれほど!!嬉しかったことか!!!(二回言った挙句の、というところを察してください)

もしかしたらプロデューサーさんは、にうすのそういうところを「クラシック音楽に合うのでは」と思ってくださったのかも知れません。と、勝手に思ってます。

………で。

…………そういうひとたちじゃないとオケ背負えないんですよ、真面目な話するとサァ………

57?でしたっけ、ドームのイルミナートフィル。57人だよ!57人が息を使って音を出すんだよ!音を出すってマジで命削るんだぜ!特に管楽器だとリアルに息だからね!あとみんな知らない可能性あるからいうけどピアノだって息めっっちゃ意識するから!!打楽器だって弦楽器だってそうだから!!!呼吸して音出してるんだから!!!
その!その命を!!!それを背負えるかっつーの!!!!その覚悟あるか?!っつーの!!!!!!

4人にはあったっつーの!!!!(ごうなき)

ドーム土曜日居酒屋でちゃきをと泣いてました。にうすはやっぱりわたしたちの音楽を許してくれるね、って。


過去と現在が融合して未来ができます。オカーさんにも見せたかったなあ、そう思うくらいに、いまこれを書きながらうっすら泣けるくらいにうれしいです。

だって少なくともNEWSの中には、クラシック音楽だ現代ポップスだという線引きがないわけだもの。両方で生きてるわたしにとっては、とんでもない救いです。

クラシック音楽がクラシックたるゆえんは、その「基礎力」にあると思ってます。それに耐え得る音楽を持つのがNEWSです。
胸張って、「こんなに音楽的なグループはないよ!!」って言いたい。
で、この表現力ってね、すべてに通じるとも、思うんです。

こんな感じです。とりあえずここまで〜〜〜にょろ。
まだなんか質問あったらコメントのところに書いてくださいな。ここのところわかりにくい!とか、もっとkwskとか、(∵)ggrksとか。