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星降る夜に願うこと -もちのブログ-

NEWSごとメモ。クラシック音楽寄りな見方してしまうヨ。

NEWS LIVE TOUR 2017 NEVERLAND 福岡公演メモ 後半

後半。ちょっと取っ散らかってしまいましたがご愛嬌で…直せるんだけど直すと勢い消えちゃうので。

ますだくんのソロから。2日目の2部で歌い直すってハプニングあり。

Silent Love。これめっちゃ好み…!ダンスがえろい。いい感じにえろい。「言えなくて 言えなくて」の口元と腰と肩とおとがいと首筋がもうなんか、曲想を表現する成亮の動きが好きです。この曲こんなに好きになるなんてーーー!歌割りの妙もあると思うけどすごいそれぞれの良さが出てて、ああ、NEWSの歌だ!ってなる。ダンスはもしかして(あやめ除いて)一番好きかも知らないです。Jr.とのフォーメーションも良い…!
そしてわたし見てしまった…ついに秋山大河を見てしまったのです…成亮の隣だったので双眼鏡カットインしてきた彼ですが噂どおり魔性。魔性だった…

終わってメンステに戻る早足がいつものごとくちょう紳士な成亮カッコヨス…

ミステリア。イントロのテゴマスのハモが会場に響き渡るたまらん。教会か。聖堂なのかここは。
歌割りのせいか立ち位置が下手から小山→手越→加藤→増田になってたと思うんだけど、いやなんかテゴシゲがな…サビ前の高音とか響きが一緒。あの2人を並べることの意味ってここにもあんのかな…ってぞくぞくした。ダンスも良かった。おしげちゃんの体の軸の使い方スキー(まじ語彙力どこ) でもまだ振付の意味が掴めてないので近いうちに把握したいと思ってます。

さくらガール、またセンステに戻りながら。踊ってくれたのめっちゃ嬉しかった…!
ゆうやさんがはけたあとの3人になってからの上ハモはしげあきだったようです。すげーいい音だだだだ(友だちが言うので間違いない)

I'm coming。いやもう何も言わなくていいんだけど言うとまじで イイ。とくに2日目になるとめっちゃ声イイ。出てる。舌舐めずりするしフフフッって言うし視線が挑発的な女子だしえっオトコ?オンナ?どっち…って混乱させてくるのにめっちゃ抱いてる。愛欲って芸術だった。

これベッドのまま次のBLACK FIREにいくんだけど、とくに2日目2部のイントロ "tonight" が艶めいててヤッバイ。CDで完璧なのにその周りにオンナ抱いたあとの色気というか、なんつーの、汗ってか、いやちがう蜜というかそういうなんか濃くて鈍く光る色のなんかを纏ってる声だからちょうえろいのにちょう艶やか…
これ引き継ぐ成亮大変だなって思ったけどメンステ見たらなんか鬼のようにかっこいい人がいた上になんなら4人の中でいちばん声うっせえ。←これ全力で褒めてる。ちょう声出てる………

バンビーナ。これ土曜日はまだ掴めてないのかなって感じでしたが、2日目2部は成亮NEVERLANDから集中モードだったのもあって(書きそびれてた)、ジャンプした瞬間に「あ、跳んだ」と思ったら、声出てきた…!

わかりやすいと思うんですが体動いてくると声も出てくるよね(I'm comingの後に書くとなんとなく卑猥にしか見えない)。もっと腰使ってもっと声出るようになってもっと脚上がっていくんだろうなあ

※整理すると、BLACK FIREで3回ともキックしたのはちゃんと見てます。例によって大サビ前。ギャンゴィィィィィ(震えながら)

※跳んだのは、2日め2部の「バンビーナ 裸のままで」のサビの前4拍め跳んだ。アウフタクトになる部分。
前後しますがBLACK FIREは3回ともイントロの成亮みてるからゆうやさんの賢者タイム見逃してるのが心残り。映像化されたらそこ入んないだろうし現場で見ないと…!でも自担みたいジレンマ。
個人的に毎年、この曲が課題、みたいなのを抱えるんですが(たとえば去年なら誘い月)、2日目2部の跳んだ成亮を見て、あ、今年はこの曲(バンビーナ)だと理解しました。どう変わっていくんだろう…!

チャンカパーナとチュムチュムでスタトロ。チュムチュムの「ナーチャーク〜」で思わず「めっちゃ歌うまくなっとる!」と叫ぶわたし落ち着いて。いやまじで全体的に底上げすげええええええ

これはのちに初日入った友だちと話してたことですが、すごく安直だけどやはり少プレのちからは大きいのではないかと。
ステージ踏んで、そのためにディスカッションをし、インプットを前以てしておき、…というのを定期的に繰り返すんだとしたらそらメンバーや外の人たちとのレスポンスの齟齬というのが断然減るわけで。それがイコール理解力、そしてうちらオーディエンス側へ渡される音楽。
わたし去年のQUARTETTOは、何がしたいか、を本当に理解するまでにすげえ時間かけてるんですが(静岡あたりでわんだの縄張り争いに気づいたくらい)、今年は1公演めで言いたいことがわかる、ってことはあっちの理解力が深いんだなって。
(わかりづらいかな…音楽もなんでもそうですが、提供する側がそもそも理解してないと受け取り側が理解することは難しい、そういうやつです。ごく普通のこと)
だから今年のNEWSはまじで場数がちがう…って思った。去年までとスタート地点が150mくらいちがう(何メートル走なのかは終わらないとわならないところですが、それが未知数なのがいいと思ってます)。

weeeek。疲れてるのにういーく。2日目の1部ではジャンプ指導が入ったから頑張った。でもほんとおばちゃんにはツライよ〜〜〜w
ポコポンペコーリャ。メンバーの寝顔と一体感と、もう言ってしまうけど秋山大河を堪能できます。(∵) オイ俺は!
しげちゃんは時計やってる時の動きがとっても綺麗なのでほんと体の軸の使い方スキーーーーーーーが発動するやつ。

流れ星。正面が星空になるんだが圧倒的な近さにびっくりした。これも声がよくて「あどけない」だけでしぬ(何度目)ゆうやさんの「もう行こう」もやわらかい。しぬ(何度目)。成亮の高音が良い。し(略
あとアリーナあたりには星が降ってきました。紙吹雪的な。

しげあきたびたび空見たりしてたんですがどの曲だったとか覚えてないけどほんといい顔する……むねがぐるじいやつ

U R not alone。これはさ…まず増田くんにびっくりするんだけど全員すごい。ほんとに生きるエネルギーを惜しみなくこっちにぶつけてくるからこっちも返さずにはいられない。へったくそな声で悪いけどまじで全力で歌うしない。それくらいに生命力という名の愛の交換。ゆうやさんがお客さん待ってる時に成亮が歌うんだがそれがまじですげえ…ラスサビあたりなんでそんな声出るの…?!ってなるくらいに声出てて、ああこれがこの人のエネルギーなんだなって。歌いながら泣きながら歌ってた。生きるってこういうことだ。ラスサビまじで声高いのにな…なんであんな声出るのって愚問なんだよね成亮、愚問だね。

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前半のほうがちょっと曲数多いのとわたしの抱える何かを刺す曲が多いので前半の疲れがすごいんですが、もうなんか、U R not aloneすごいよ…練習しないと勿体無い。あれを一緒に歌える幸せがそこにある。そうやってそれこそ、出し切って終わるからこのコンサートはこの形で正解なんだと思う。次も次も、も思う傍ら、去年ほどの飢餓感と焦燥感がないのはそれこそ歌唱力だよ。パンフでしげあきが言ってたのを昨日読んで、ああ、そうだよね…ってまた胸苦しくなってしまった。好きです(総括)。

てなかんじで、いろいろ抜けてる気がしますが福岡公演楽しかった!もっとうまくなるんだろうと信じられるそんな声がたくさん聴けた公演でした。フレージングの揃いがとてもいいのは、メンバーがいい関係なんだなって、音楽に表れるほど深いところまでいい関係なんだなって証だと思ってます。わたしたちにできるのはそれに応えることだなあ。

入り口はあっても出口はありません。
みんなは最高のパートナーです。
NEWSがついてる。

真実だなあと。おもう。ありがとう。また別の会場でもたくさん愛をください!

 

ちなみにリアルタイムなネタバレはこっち。でも大概しげあきがどーのこーのしか言ってないけどあやめに関してはこっちのがいまんところ詳しいかなw

@mc_inNEVERLAND

https://twitter.com/mc_inneverland/

 

で、小声でオチにうちのおかーさんですけど、ずっと立ってペンラ振ってたからめっちゃ調子いいやーん!ってなってたら「ずっと耳栓してたからあんま聴こえんやったわ」って…本末転倒か!!一番苦手なのが黄色い声援なのはわかるけど(耳ビリビリくるから片耳にはツラいらしい)、まさか全部使うとは思ってなかったやん!でも確かにセトリわからんから付け外しは難しいし、そもそも倒れられるよりはいい(どうしてもその恐怖はある)。でも曲もっと聴いて!なんなら耳栓マスターになろう?!

とはいえ、「聴こえた音キライじゃない(=うちのママンのさだまさしを除く上級褒め言葉)」「演出おもしろい」をもらいました!ぜひ来年リベンジしてもらおうと思います!

NEWS LIVE TOUR 2017 NEVERLAND 福岡公演メモ(前半)

2017年4月8〜9日、NEWS LIVE TOUR 2017 NEVERLAND福岡公演行ってきました。

個人的備忘録です。とはいえ、曲名や演出に関してはネタバレになります。

(リアルタイムに重い愛を吐き出すのはこちら→ https://twitter.com/mc_inneverland/ )

アルバムに関してはいろいろ思うところもありつつ、あやめ楽しみだなあとか、札幌組のネタバレを拾いながらシリウスを心待ちにしたりしていました。
去年、一昨年と初場所(って言うな)は行ってたんですが今回は行かなかったのでとても不思議な感じのまま、どこか心に鍵したまま、4/7、昼過ぎに「明日はNEVERLANDか…!」と思って仕事中なのに泣いたり、帰りの電車で泣いたりしてました。おかげで化粧ポーチを机の引き出しに入れてくるという…前代未聞の失態までおかしつつ……

4/8、天気は雨。おかーさんと入るので車で向かいます。うち遠いんですけど、いくら若作りに定評のあるオバハンでも移動はつらかろうということで高速で。
後天的に左耳が聞こえない母なので、耳栓ももたせました(とくにアリーナD1だったので右からの圧だけになり、いろいろ体調に変調をきたされたら困る、ということです)。
と、こんなめんどい人を連れているため一緒に行く人も選ばなければならず、仲良くしてもらってる友だちを関西から召喚。駐車場で合流し、入ります。

母と別れて入ってすぐお一人挨拶して、中に入ると、さっぽこの感想で「金かかってる」とTLに並んだセットが見え、二人でこれか!これか!とはしゃぐうちら。土曜日はまだメンステのNEVERLANDの文字がふわふわしてました。
(ここから先土曜メインで書きますが、めんどっちいので日曜の曲の感想も挟みつつ進みますのでご了承ください)

端折ると(もうめんどくさくなってきた)、母に去年のペンライトを持たせ、友だちと二人で深呼吸やらハンカチの有無やらを確認し、祈るような気持ちでその時を待つ。まじかーーーそろそろ始まるのかーーー!と言いながらまじで緊張する。だって去年オーラスから丸10ヶ月ですよ。し に そ う。

自担の担当が「Ray=光」ってことでそこでまた(すごいどうでもいい個人的な理由で)しにかける。えっそこ?そこなの?レイなの?まじか。次にゆうやさんが「Fire」。ですよねソロの感じからしても。

そして二人して始まった瞬間変な汗が出まくる。汽車を目にし最早なにがなんだかわからぬ。4人がせり上がってきたときにはもう泣いてる2人(見なくてもお互いのテンションが伝わる俺ら)。なんだこれ全身が燃えるようで、あ、わたし生きてる…!ってなった。自担の顔を見て、ああ、ここにいる、って思った。
低音が響く、姿勢の揺るがない歌い方にまたブワってなったところでゆうやさんの声がして隣の手越担の友だちが瀕死になるが、わたしも言わずと知れたほぼほぼ手越担なので同様にしにかける。なにこの声。末っ子たちすごい…変な汗が出まくってる俺ら。ゆうやさんの高音ユニゾンがまた胸をえぐる高揚感。

成亮=フラッグ、ゆうやさん=灯火、ますだくん=剣(しかも二刀)、小山さん=ステッキ?だったと思うのだがあの完全なるファンタジー感すごい。ミスターインポッシブルが「NEWSがエスコートする」つってんのにエスコートどころか戦える…どこのナイト(騎士)だよ…!って思った。マント、マントォォ…!(語彙力)

2日目2部は妙に自分の感覚というか耳が冴えてたんだけど、メンバーが出てきて自担の顔見たらなるほどど思った。なるほど、彼らの空気がわたしの耳の澱を払ったんだと終わった後に気づきました。あれほんとそうだと思う。メンバーの集中で周りの空気がすでに始まる前から変わるの。

NEVERLANDをCDで聴いた時、飜るフラッグのイメージが見えたんだがまさかしげあきが持って出てくるなんて思わなかったんだよ〜〜〜圧倒的にかっこよかった。がっごいい。あとの話になりますがあやめでもフラッグ使うしなんなの、成亮なにを背負ってんの…ってほんとに思った。(あとでわかるやつですが)
1と2コーラス目の間にしゃがんだ(立て膝ついた?)ときはそのまま手を伸ばされるんじゃないかと思った。救済の具現化だった…騎士ってのは守護であり闘神だよな…っていう…

"SOUND with〜" のときの手を広げて4拍めに首をかしげるフリがあまりにも好きすぎて途中息止まってた。(EMMAのこれも好き。首筋あうあう…)

次にアン・ドゥ・トロワ。ダンスかわいいしこれもしかして時計ぽい動きしてたかな?(うろ覚え) 1.2.3の指からのキスはとてもコケティッシュでかわいいです。
とはいえ「一夜の夢を見る」でノックアウトされたのでC&Rできないもちを氏。どこを取っても成亮の声がイイ…!そしてゆうやさんの声がすげえ…!
「渡るようなステップで」の後ろ歩きちょうかわいい。と思ったらサビ前の成亮の高音が予想以上にうつくしくて天を仰ぐ(友だちが察して腕をポンポンしてくれるほどに)。えっもう…これだけで来た甲斐あったんじゃ…


EMMA。えろい。いい。エロイ。腰エロい。みんな声がいい。とくに4人のユニゾンがいい。めっちゃ揃って来てるのでとてもいい…なんか音がちがう。4人の声が共鳴してちがういい音がする…あとえろい。お客さんみんなにんしんしちゃう。(∵) コラ
ますだくんはとくに日曜1部の「引き下がり方知らない男」やべえ…オス…!ってなるからみんな射殺されないようにね…
しげあきは「ギター」のときもオンナ…ちがうジャケットちゃんと抱いててホオオってなりました。フオオ抱いてる。たまらん。日曜あたりに顔を寄せたりちょっと顔の向き変えたりするのとてもコウフンした。(しげあきの肩のライン腰のライン首筋おとがい目線指先を双眼鏡でとっくり見るのがわたしです)

 

KAGUYAで上ぐるぐるしてるときちゃんと鎖骨アピールする自担かっこよかったーエロスエロスー!
あとハモもナマでしたね!CDのときにこの高さだろうな、と思ってたところがちゃんと聴こえてハアハアした。
恋祭り。タオル買ってなくてゴメンゴw

DTFキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!
ギャンワイイ。まじギャンワイイ。ゆうやさんへの顎クイまじイイ…あとダンスでの身体の使い方がまじ好みすぎてやばかった。えっ…えろい……

4+FAN。周りからやったー!待ってた!みたいな雰囲気出る。友だちとそろそろ2人して汗だくになってくる。暗転した間「なんか汗がやばい」と繰り返すうちら。

あやめ。
あやめに関してはそれこそ音源を初めて聴いた時からピングレだなと思ってましたが、次に思ったのが指を伸ばすとき、そしてリフターに上がったとき。ああ、これ知ってる。
なんというかついったにも書いたので後でそれはそれでまとめようと思いますが(すごいここに関しての言いたいことありすぎる)、とにかくうつくしいし、語弊があるかもしれないけど、この子神様なんだなと思った。神様というか、神の子というか。そういう神聖な人しか持ち得ない空気があって、蓮の花みたいだし((∵)あやめだっつの)動きがもう…ああこの人生きてるんだなあって思ってじっとみながら泣いてた。生きようとする意志が強い。生きたい、より良く生きたい、どうやったらいいんだろう、そういう葛藤とか全部見えるんだなあと思ったらいつの間にか双眼鏡外してました。ナマなのもよかった。言葉も生きてる。そのときの、一回性の音(動きも全て音)。「んなもんいらねえ飛んでやらあ」がほんと、ああ、もう…このあたりでジャンプするのもとても好きで。動きひとつひとつが生きてるんだなあ…生きたいエネルギーが強すぎて周りの粒子が輝き出すんだ。
どっかの後ろ姿見て、ひとつ個人的に悩んでたというか、足踏みしてたことがあったんですが、それが「あ、迷ってるなんてナンセンスだ、行こう」ってほんとに思ったんですよ…去年もだけど福岡のしげあきソロの後ろ姿はわたしの檻をぶっ壊す。生きないと損だっていうから、いつもわたしは目が醒める気がします…どこまでもその身体ひとつで闘うし、その身体自体が作品で、その身体で未来を切り拓く、そういうところが、きっと世界に愛されてる。それが成亮なんだなあ…

なんつーかとりあえず泣いてたし、暗転したときに「アン・ドゥ・トロワとこれでわたしもう元が取れた…」と友だちに言う始末。しあわせ…

Brightestはこの後のせいか影の演出完全に騙された…っていうかまじで放心してるw ただ2日目とかからはちゃんとゆうやフェイクに腰抜かしかけた。艶っぽい…!!

センステでシリウスが始まって友だちと2人手を取り合って悲鳴をもらす。2人していまだにシリウスが好きすぎて、イントロの♪(∵)人(・ш・`)♪が去年以上にほんとよかった…!トロッコ曲なのに全力で歌うしげあきにもしかしてリアルに誰かに恋してんのかなあって思ってしまう始末。曲想だとしたらそれでもいい。「Oh…」までが全力なので全力で歌うわたし。ああもうこれを流さずにちゃんと歌ってくれるどころかこんなに音と曲想大事に歌ってくれるなんて(絶句)。

Snow Dance。リフター遠くて顔見えないけどわたしの大好きなBメロが!「もう何もいらない〜絶やさずにいたい」CDなんのそので、まろやかで優しくて去年にはない安定感で柔らかいことにまた瀕死。お前何回しぬの。目の前のリフターがゆうやさんなのでそっちも天使だった。「君を愛せたなら」ハァーーーまじかそんなに柔らかいか!柔らかいだけじゃなくフレーズの終わりの処理がまじ去年の比ではない……しぬ(何度でも)

touch。かわいい。歌上手い(お察し)。

ニャン太。こやまさんの歌が安定してて、ああまじてこの人あれやな、ほんと…ニャン太のことすきだったんだなあ、って、まさか御涙頂戴曲でまんまと泣くわたしと友だち(なんなら3回とも泣いたわたし)。いい生だったんだろうなあニャン太……まじでそう思った。

この気持ちを引きずっての恋しら。恋しら……
初日もゆうやさんの出だしが美しすぎて(のちに思ったが、艶。色気ではない、艶だ。年輪と努力と心で掴んだ艶があって)音が全部上向き。続くしげあきも上向き。心がこもってるから振りの抱きしめるやつにも違和感なくてつられてやってたわたしほんとだいじょぶか。

……恋しらに関しては、3回めつまり2日め2部、個人的には大事件で。
うまくなった分、それでもずっと語尾の処理とか音がレガートになってない部分とか、ちょっとしたところが気になって仕方なかったんですが。なんつーか「お前ならできる!そんだけプレーンに歌えるなら変な処理入れずに真っ向勝負できるから!」みたいなすげーうぜえ修造になるやつなんですけど。
福岡2日目2部の1Bがなんの過不足もなくわたしの理想で、よく倒れなかったわたしえらい。震えながら泣きながらそれでも遠い真正面の人を見て、早いよ、と思った。もうか。もうなのか。このツアーの終盤で聴けたらいいなって思ってたけどもうなんだ。見くびってたのかも知らんごめん、本当にごめんと思うくらい、それから帰れって言われても文句ないほどにしあわせだった。

フルスイング。これ最早2日目2部しかあまり記憶がなく。
恋しらの音のまま歌うからもうーーーもうーーーーー(言葉が見つからない)。他の人のパートを口ずさんだり、待ってる間上を見て穏やかに、防振じゃないから見間違いかもしれないけど、穏やかに少し口角を上げて微笑むように見えた、それがもう胸いっぱいで。ああ、音楽と、生と向き合ってる顔だなって、こんなの見れるんだなあって思いました…顔覆って泣いてしまうあんなうつくしいやつ…

ABO。初日このへんでもう体力尽きかけてしんどる。そろそろMC行かないと本気で倒れそう。でもNYARO始まる。かわいい。踏ん張る2人(友だちと)。リフターに移動しだす。まじか。体力ピコンピコンしてる。

ORIHIME。多分この曲だと思うのですが、ゆうやさんの声がちがう人の声みたいだった。もちろんいい意味で。いつもの響きがどこか柔らかく、ピンと張る弦がそっと震えて、もっと光彩を増すように。
それに気を取られてたらうっかりしげあきの上ハモちょっと聞きそびれました。翌日からめっちゃ聴いたけどw

で、やっとMC。まじピコンピコンが消えかけだったので即座る2人。
MCに関しては別席に入ってたお友だちがMCレコーダーなので(まじで記憶だけで書き起こせる)そちらを参照されたい。前半だけで(3回分ごちゃ混ぜとはいえ)5000字超えてるので一旦切ります。まじでここまででほんと…なんというか…全てが浄化された感じでお笑い(MC)の世界へGO!

 

 

今年のQTARTETTOツアーをざっと振り返る

6/19付の下書きが出てきました。

おかーさんとQTARTETTOのBDを見て少し吹っ切れた部分もあるし、備忘録として2016年のエントリにしたいと思います。(時間が経ってる分ちょいと修正して)

たくさんのひとに助けてもらったツアーです。ありがとうございました。本当に心の底から感謝してます。

 

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まずサッポロ2日目。前日がらじらー最終回、かなり弾丸で寝不足抱えた月曜日とわかっていても行きたかったのです。雪があったこともとても印象的でした。
他に覚えてるのは最後の衣装でまだしげてごがジャケットを脱いでたことと自担がぼんやりしてたことです(それもどうか)。ハイライトはいくちゃんと相撲を取ったこととまさか札幌駅で荷物を受け取れたことかな(相撲にかんしては抱き合ってただけなのになあ…)。

 
明けて4月のオーサカ。金曜日は仕事なので土曜日、おともだちと互いじたんが外周行くと方向をそれぞれ見るので向かい合わせになるアリーナあるあるをしながら見てました。ていうかおともだちとの集合場所細かくわからないのにお互いオーラで見つけ出すのコワイていうかすごい。
天気も良くて写真撮る空がうつくしかった。
オーサカの夜は、しげあきの声が変わったー!って思うところがたくさんあって、なんかとてもしあわせでした。
帰りは高速バスでしたがほんと疲れてたんだろね、最初のパーキングで飲み物調達し、次気づけばもう終点近くでした。

 
しずおか2日目。
Wonderでお互いに噛みつきあいだした
と思ったのは静岡が初めてでした、おそらく。あのとき初めて、「音楽がここまできた」とTwitterに転がした気がします。Wonderが四人の縄張り争い…という感想はここから始まったのかもしれないです。わたしの中で。
帰りの幹線に乗り込むときにたまたま先に乗っていたシューカツ生?ぽい男子二人くらいがホームに並ぶお客さんたちを見てドン引きしてたのがおもしろかったです。トラウマにならないといいな。笑
 
 
次は地元福岡!!
なにより、「くぅまもとに届けェエエエエエ!!!」っていうゆうやさんのチュムチュム前の言葉はやはり一生忘れません。
29日はゆうやソロで泣きすぎておともだちに心底心配されたり「シゲちゃんはほんとに菩薩だよね」って言ってもらえたり。
30日。おそらくここがわたしのある意味ピークでした。確か今年は全18公演あり、30日の福岡は9公演目にあたるとおもうのですが、…おそらく、おそらくね、音楽の中では良くあるんだけど、「一度目のピーク」というのがここにあったのだと思う…
 
始まる前からマリンメッセが爆発するんじゃないかと思うくらいの熱気と、出てきたメンバーの姿、それから
Take
この、"tak"だけで泣いたのは初めてでした。となりでともだちが泣いてるのもわかって。しげあきソロがあんな風に見えたのも初めて、そしてまさかWonderであんなにもしげてごがぶつかり合うなんて…と、気づけばともだちとお互いに支え合いながら泣きながら聴いてるという……それほどに凄まじい「上昇」する音楽を見たのがこの4/30でした……何かの奇跡かとおもう。
 
……いざないづきの存在意義みたいなのが(個人的に)つかめなくて、たまになぜこの曲がここにあるのか、と考えてたんですね。でもあのとき初めて、すこしわかった気がしました。それはまさにしげあきの声からで、その前にゆうやさんのソロがありそれを継いだますだくんの声があったからこそですが、そのとき初めて、「そこに在る意味」が見えた気がしたんです…
まだまだ変わっていける。そう、一歩踏み出したのがここだったように思えます。生きるための一歩。

 

5月になりました。名古屋です。
名古屋日曜昼公演。ゆうやさんソロがとんでもなく素敵でした。
あの笑顔と、あの声。そしてしげあきの朗読がとてもすてきでした。
いざないづきもまたなにか変わりだして、聴いてみたい「一音」がどんどん近づくようでした。この頃からもう天に昇る階段のように思えてきてたんですね。

……先の福岡とかのぶんに書き忘れてましたが、星めざのしげあきの振りがほんとうに祈る人のようで美しく、指先まで音を表現する、その尊さと稀有なことに何度も祈りを感じてました。ありがとう。あの曲を歌ってくれてありがとう。


次の仙台はなんというか、安定してた、に近い気がします。たぶんここでじゃなかったかな、QUARTETTEO前にしげあきが息を吸うのを印象深く正面から見たのは(つまり上手のスタンドにいました)。
どこか、とてもフラットになっていったのが不思議でした。しんしんと積もるような。


月末、広島。
アリーナ最後ってことで、もうその気概で臨んでました。たぶんそれが全てである気がします。


東京ドームでは。
実を言うとほしめざのアレンジを聴いたときから期待はしていました。していたし、それでも震えたのがイルミナートでした。ああなんてことだろう、NEWSはどこまでも音楽の何かを救うんだなとほんとに、ほんとに嬉しかったです。終わったあと、ともだちと飲み屋で軽く泣いてました。うちらほんとにNEWSに救われてばかりです。


オーラスは去年から誘ってたともだちを初めて連れて行けて、しかも「一曲一曲がミュージカルみたいだった」という最高の褒め言葉をもらってほんとにしあわせでした。
わかってたのにまたオケでは泣いてしまってた。2日ともほぼ同じ位置の天井席で、それでも音が聴こえることに感謝してました。
1日目のシリウスのイントロは引き合うしげてごがいて、2日目はもう、ただひとえにひとつの音でした。最後にふさわしい音でした。
1日目のしげあきの朗読がすきすぎて、ああこのひと声で黙らせるんだなっておもったし、ゆうやソロはほんとうにもう物語だった…二人とも世界観があってあたりまえのことに、でもそこには確かに「もてなし」がある。しげあきの場合とゆうやさんの場合そこにはすこしの違いがありそれこそが互いの個性なのだけど、それでもそこには表現者としてのプライドと優しさと厳しさがあって。

外周でライフ歌ったとき、すでにCD音源とは違うしげあきの声。Wonderのとき競り合うことよりも支えることに重きを置いたような声。シリウスの曲中盤からは全力でしかないあのカオと、シズクの音だけを追うカオと。心底、心底この人すきでよかったと思いました。一音を追うカオを、タオルの落ち先をまったく見ない潔さを。板の上のひととしてのかっこよさに完敗です。
そして映像化したいま、ほしめざのあのカオが見れて、本当に良かった。


昨年のWhiteに続いて、救われたツアーだった、ということかなと思います。
わたしがわたしである以上逃れられないことを突きつけ、それでいて救うのがNEWSです。


ツアーを通しての合言葉は、「何があっても生きよう」、これだった気がします。
生きようね、生きよう。わたしたちはわたしたちの道を生きよう。彼らの音楽に支えられながら、それをいつか支えにできるように。


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半年の時間を経て、なんというか、そっくりそのまま自分の中にあの "QTARTETTO" という音楽を、仕舞えるような気がします。

 

 

 

アンテナはいつもフルスロットル - QUARTETTOのDVD(BD)もしくは『できることならスティードで』の感想、あるいは2016年の反省 -

わたし以前「このひとは人を変えるひとだなあ」と思ったことがありましたが、なんだか久しぶりにそう思いました。たぶん自分らしく生きてるだけで他人の何かを変えちゃうしげあき。そんなしげあきがだいすきです。


火曜日。休めないのでもう何から見るかを決めてたわたしは(ディスクがあそこで分割されてなかったらゆうやソロから4曲だったけど仕方ナス)IZANAZUKIで音の良さにぶっとびながらWonderを見て本気で気が狂うかと思いました。本気で。本気で!
過呼吸気味で泣きながら「わたしこうやって生きてた」って何度も思いました。こうやってころされたかった。これを待ってたんだ。あたしこうやって生きてたんだったと殴られたように。何度も、そこから何度もしんでなんども救われるような感覚は久しぶりでした。シリウスでさらに号泣したのは言うまでもない。延々飢餓を埋めるようにループしまくるのは予想してたけど、予想以上に自分の飢餓状態が末期すぎて「わたしほんとにこのくらいのパンチないと物足りないんだな」と泣きながら現実に失望した。


***

4月の福岡公演のあと、「あのひとたち、というかしげあきはほんっとみてると悔しいくらいにいいんだよね…」と言ったらさすがのうちの母も「それはわからん」と言ったのですが*1、うちの母は相当頭がよく感受性豊かな方なのこれはおそらく『アウトプットを日常的にする人生だったかどうか』という違いなのではないかと思いました。


父を小4のときに亡くした母はおそらく習いごとを自由にできなかったのだと思います。でももって生まれた感受性だけは豊かなのでどうにも生きづらかったらしく、そんな彼女がとった対処法が「アンテナを閉じる」。
昨年疲れから入院したときにちょうど発売して間もなかった『傘をもたない蟻たちは』を読ませたんですが、感想といえば根津爺のところはがっつり食い気味にしゃべり、あとは「他は全部通ってきたからわかる…」というもので、やだもうこの人にはかなわねえ…とぞっとしたものです。さらっと知ってるといえるその年の功よ。

そんな彼女に倣ってわたしもアンテナ閉じてみようと思った、それが間違いだったなあといまなら思う。


6月、オーラスも終わり、例年ロスに悩まされ体調崩すのであまり考えないよう、考えないようにし、仕事しよう仕事しようと思っていたら……
がっつり体調崩しました。いまだに仕事中苦しんでで心配されるし体重戻らないし(体調崩すと増えるタイプ)土日は泥のように眠る。おかげでさだまさしも90%くらいしか楽しめなかったと思う…もったいないことをしました……おじさんの感性だいすきなのにちょっと閉じてたんだよな…開け方がわからなくなっていたのかもしれない。

そう、ツアー中の合言葉は「アンテナ解放」だったんですね。普段は使わなくすむ感性のアンテナをフルに使おう。いつも持て余してるものを使ってわたしを元気にしてやろう。そういうつもりで挑んでました。それこそ愛の交換はいっつも真向勝負。

わたしと母の最大の違いは「アウトプットをせざるを得なかった」「アウトプットをする機会にそうそう巡り合わなかった」ここだと思います。だからこそ母は閉じれるのだろうし、わたしは閉じたらこんな感じに体調を崩す。
火曜日、母に「わたしこうやって生きてた…!」って泣きながらいったら「どんなでもいいからあんたの好きなように生きなさい」と言われたので(感受性持て余して泣いたのが何度かある)もう気が狂った人だろうがわたしはわたしのままでいこうと思いました。

というのも、ドキュメンタリーのことばも、『できることならスティードで』も、どちらもしげあきが自由だからです。あのひとの思考回路はとても自由。制約というものを軽々と超えてしまう……そこにおそらく「アイドル」としての葛藤はあったとしてももはや過去形なのではないかと。その証左のひとつが、『スティード』内にあった「女装対決」であって、それをなんら臆することなく書いてしまうのはそこが彼だけが持てる強みでもあるからだろうなと。

“「できるもんなら、やりはったら?」”

それはわたしが毎度彼に言われていることでもある気がします。福岡公演の『星の王子さま』で悔し泣きをしたのはまさにこれでした。できるもんなら、やってみろ。追い付かない背中に何度恋すればいいのかわからない。

「明日からライブを追いかける」

ああ、わたしこの人のファンでよかったなと泣いたのは言うまでもない。わたしが思い描く“表現者”は、おそらくピアニストが原点なのだと思うんですが、それに匹敵する自由さと距離感を持てるのはこの人だけなんだなとうれしくて、そして悔しくてならない。

 

終わってみて思ったんだけど、追いかけてるなと思ったんですよ、ライブを。もちろんできることは100%やったんだけど、「いやまだいける」、と。「いや、まだ満足できない」。なんか、いままでのライブで俺、一回も満足しないんだなって思う。それはお客さんを楽しませたいっていう*2のもあるし、自分としては納得できるところまで…やれることは100%やってるんだけど「まだいける!」って、なんか、俺、ライブを追っかけてるんだなって今日、思ったんですよね。あのアンコールでとか、『ヒカリノシズク』ではけるとき、もちろん、最ッ高に気持ち込めて、最高の、自分ができるすべてで集中してやってるんだけど、……なんなんだろうなこう、手の届かないもんなんだなーと思って。だからこそまたこう手を伸ばしてしまうっていう……今回それをすごく痛感しました。

来年を追いかけるんじゃなくてさ、明日から追いかけちゃうんだよきっと。俺すごい反省しいだから。自分ではできることやったと思うんだけど、これDVDになったりしてさ、まあなってるわけじゃんこれ見てるってことは。また見るわけじゃん。すごい自分にさ、これうまくできたなって思うこともあれば失望することもあってさ。「くっそー!」と。やっぱ明日からね、ライブを追っかけてると思うんだよね。

 


勢いで起こしてみたけど、ここにはわたしのツアー中のきもちとか、演奏者やってるときのきもちとか、「芸能」(アイドルとか歌手とか作家とかすべてをひっくるめて、広義でありそもそもの「芸」「能」を指して)に求めるすべてが詰まってる気がしました。
「手を伸ばす」はコンサート中にわたしがやってることだし(無意識なんだがよくやる)、「明日から」「追っかける」これこそがアウトプットインプットのサイクルなんですよね。だからこそ自分に返ってくるわけです。

だからこそ、しげあきってひとを変えてしまう危うさも強さもあるんだなーと思うわけです。


***

ファンとアーティストの間にはぜったいの壁があるんですよ。
それは例えば時間でもある。100年以上前のロマン派の作曲家とは生きてる時代が違う。好きなピアニストは日本に住んでいない。これは物理的距離という例え。なにがしかの距離がある。

そこで大事なのはきっと、何かを与えてもらったときに、受け手が何を思って行動するか、だと思うんです。

だってさー、例えばだけど、もう鬼籍のショパンからなんの物理的なファンサをもらえばいいのさww もはやもらえるのは楽譜を通した思想だったり時代の面影だったりするわけで、でもそれをわたしたちは一生懸命追ってるわけでしょう。それが「交流」なわけです。魂の交差というか。
同時代、同じ場所にいたという証拠としてファンサがあるのはありがたいなと思う一方で、それ以上に何かがあるとしたら、その「影響」とか「交流」だと思うし、だからこそわたしはいちいちしげあきの文章に関して「最大のファンサ」だと言ってきてるのではないかなと思い返してました。もしかしたらまんま『閃光スクランブル』のあとがきに書いてるのかもしれないけど。

絶対的な壁の前でわたしはどうやって生きるのだろうね。


閑話休題


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DVD本編は書くこと多すぎるので『スティード』に絞ると、ちょうど大阪公演あたりでわたし自身が『旅』についてのエッセイぽいの書かなければならず、そのときの手法のひとつにしたのがこういった『広義の旅』だったので、これはもうとてもとてもうれしく思ってます。足を運ぶことだけにとらわれず、広く自由に思考し表現する。これがエッセイの醍醐味なのではないかと思っているので本当にうれしい。それと同時に(『チュベローズ』でおそらく文字数制限等の理由で満たされなかった)言語回路の飢餓が一気に満たされた。ああ、表現ってこういうものだよね、と。自由であること、とらわれずないこと。

飢餓状態…つまりハングリー精神に満たされたとき、って、ひとが輝くときなんじゃないかな。

加えて化粧についても触れてあるのがうれしかった。荻原規子ファンではなくともこの化粧の呪術的な部分に関してはうなずけるだろうし、この『スイッチの使い分け』こそがしげあきの魅力のひとつであると思っている……そんなわたしは板の上で演奏するときはだいたいアイメイク濃いめにしてます。「いつもと違う心境になれるものよ」と、いま『RDG』の2巻が近くにないのでうろ覚えですが、化粧の呪術的な生死について触れている、これこそが彼がまさに「芸能」のひとなのだという……それこそコンサート中の“第二形態”がまさにそうであるように自分で自分へ「まじないをかける」。だからこそしげあきの“スイッチ”は魅力的なのだと、痛感した次第でした……。


また、小山さんに関して。

“「NEWSがついてるから」「明日からもがんばれよ」「受け止めてやるよ!」”。

ドキュメンタリーで、「4人の攻撃」といったこれもまさにそうでしたが、それ以上にこれらの言葉…「感情のナビをする」、これをもっと大事にしようと思いました。

わたしはわたしをおろそかにしすぎた。そのツケがこの体調不良なんだと痛感してます。
自分に厳しくある前に、自分を大事にできない人は表現もできない。と、そんなこと誰かも言ってた気がしますが、まさにそういうことじゃないのかなと思うんです。


わたしは周知のようにしげあきの体のラインがとても好きですが、今回とくに縄跳びのシーンで「フィギュアスケート選手かよ…!」ってうなったくらいにきれいだったのですけどもねもうあれって女のひとだったらふつうに「いい身体してるね」っていうセクハラを受けそうなやつだと思うんですが(褒めてる)、それもおそらく色気なのだと思う。

色気、という、『色』というのは、生気なんですよね。「文脈が色づく」とか、「ヴィヴィッドな演奏」とか。そういうのって全部、「生きる力」なんだと思う。

そういえばうちのおかーさんも生きる力の強い人だった(あれを回避してるのはなにかの軌跡か本人の気持ちでしかない)。それっておそらく彼女が自由だから身につけられた力ではないかと思います。うちのおかーさんすごい。


“「明日からライブを追っかける」”
生きたい力が強いひとだな、と思います。生きる力が強い人だなと思います。
だからこそすきだし、だからこそわたしもそうやって走っていこうと思う。

おかーさんじゃなくて、ほかの同僚でもなくて。
忘れかけてた「もちをらしい」生き方をもっかいやってみよう、と、そう思えたQUARTETTOの円盤だったし、『できることならスティードで』の第1回目だったのだと思います。

タイトルは、「でありたい」という思いを込めて。 

 

 

*1:もちを母:ガチのさだまさしファン。先日の有楽町コンサートでは初の遠征だったため娘に「半券返して」と言い、普段なら並ばないスタンプ列に並び、グッズは「使わないから持ってても仕方ない」と買わなかったガチさだまさしファン。ソロになる前からのガチファン。おかげで娘のライブデビューがさだまさしの野外公演。当時2歳。天候は雨。

*2:ここで「欲望」って言いかけた?

音楽の言語化と「蜜蜂と遠雷」(と、一瞬NEWS)

とくに「蜜蜂と遠雷」を読みながら、音楽を言葉で紡ぐとはなんなのか、ということを考えていました。

 

そもそも「言葉に直す」ってのはすごく不毛な作業だと思ってて。そんなこと言うわたしは、コンサートのこととかは基本的にメモのつもりで書いてるんですよね。
でもほんとまぁーーーレポートとか脳内で進むスピードにわたしのタイピングの指が追いつかないからめんどくなるんですよ、マジで。それでもメモりたいから書いたりするんですが、わたしの場合も「蜜蜂と遠雷」も、ピアノを中心とした音楽から受けた印象などを言語化してるわけで……なかなかに不毛っちゃ不毛です。

作中にもあったけど、弾いてる間って人格が何人もいてそれが並行していろいろやってるというのも事実。

 

その中で言語化できないものを言語化しようとするのは、もしかして人間の知性が持つ本能みたいなものかなとも思いました。

 

この感覚なんなんだ?  この感覚なんなんだ?

 

っていう問いかけに対するアプローチというか。

 

たぶん、音楽が言語化できなかったときとかに有効で、言葉は言語化できるときに有効なのかなあ、とか思ったりします。まだはっきりしないけど。(このあたりは作中でも触れられていますが)

 

言葉には言葉のチカラがあるので、それを媒介にせずにダイレクトに「その事象や現象」に触れるのが音楽で、言葉というのはそのダイレクトさをやわらげたものなのかなあ、とか。(ショーペンハウアーもこのへん触れてた)

 

言葉は人間特有のものだし、音楽もそう。中世くらいまではいまと違って高等な学問だったようだし(いまが変な具合に「学問として」細分化されすぎている気がする)

 

 

「蜜蜂と遠雷」の中にはたくさんすきなところがあるけれど、とくにネタバレにもならずに、そしてハッとしたのか、とあるキャラクターが考えていたこと。

 

 凄まじいテクニックを持ったピアニストは大勢いるのに、そうしたヴィルトゥオーゾの中からなぜコンポーザー・ピアニストが出てこないのか(中略)いわゆる「現代音楽」の大部分は限りなくは狭いところで活動する、作曲家自身と評論家のための音楽となっていて、必ずしも弾いてみたい、聴いてみたい曲ではない。

そこをつなぐピアニストが出てこないものだろうか。(中略)

次の世紀にも、その先の世紀でも引いてもらえるたくさんの新たな「クラシック」曲が出来たら。

 

 

生物でもなんでも、進化というのは爆発的に起きるらしい。ある日突然、進化の大爆発が起きて、多種多様かつ「オリジナル」なものがいっぺんに現れる。徐々に、ではなく、同時期にすべて出揃うのだ。

それと同じことが、ある時代、音楽の世界において、突然起きたのだ。(中略)

音楽の進化って、なんだ?

 

このへんは個人的にもうんうん唸ってたところでもあるので、わかるボタンをぐいぐい押したくなってました。

なぜ進化は爆発的なのか。ーー言ってみればなぜNEWSが「いま」「そこに」「その状態で」揃うのか、と同じだと思うのです。

 

すべての者を地獄に連れていく(そこは限りなく天国に近い地獄なのだが)

 

これコンサートにまんま置き換えると、かなり的を得てるもんなあ(苦笑)。

 

 

 

およそ、音楽の言語化(もしくは世界の事象の言語化)というのは、わたしの至上命題のひとつになったなあ、と思ってます。

 

この本にはふだんわたしが考えている言葉がいろいろあった以上に、まだ言語化できていないーーしかし確実に考えていたであろうーー言葉があり、結びはこれではないのかな。ふたつだけどね(苦笑)。

 

一瞬と、永遠と。再現性ーー

 

そして、

 

音楽が本能なんだ。

 

 

もし、音楽がなんなのか、何がいいのか、なぜ弾くのか、何を目指してるのかーーそれはおよそジャニーズ含めてエンタテインメントの世界に生きるひとたちすべてに当てはまることですがーーそれがわからない人が読んでみても、……もしかしたらこの本なら、少しだけ、それを「生きる」ことの一つに組み込んでいるひとたちの考えが、わかってもらえるんじゃないか。

そんな、救いの手がたくさんある作品だ、と思うのです。

 

 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

キリンでもいいじゃない ータイプライターズとNEWSな2人の感想がなぜかこうなるー

こないだから専業作家と兼業作家のちがいとかについてて考えてたところでタイプライターズがあったので、まあ~~ほんとタイムリーでした。専業・兼業というか、むしろ「一本にできるかどうか」というあたりを音楽で考えてたらなんだかまとまらなくなってきたところだったので。

というわけで以下メモです。

 

とりあえずわたしはずーーーーっとピアノやってきたわけで、大学辞めるときは担当講師に「あんたは弾くために生まれてきたのよ、それなのに」と言われましたが、そんなお金ないんだから仕方ねえしこんな低レベルな学校にない金はたけねえよ! と思ってたんですけど(そこは後悔はまったくしていない)マアそうですね、弾くのやめてないです。

 

でも専業で講師やってたときもしにそうでしたよ?(苦笑)

 

これなんなんだろうなあとおもってたんですが、要するにわたしがずっと「学生+ピアノを弾く」と並行してきたせいじゃないかと思うのですよ。

さらに言うと、弾いてるときってさらに思考が並行してるので、世界全部がパラレルと言っても過言ではない。しかもピアノだと「自分」+「曲」+「解釈」+「体の調整」+「そのフィードバック」+「それを両手」+「さらにいうなら指ごと」ってなるのでネストにもほどがあるマジで。

 

で、そういえば。

わたしが読みやすい作家さんって、もしかしたら兼業作家さんかもしれません。
シゲアキしかり、荻原先生しかり。(荻原先生はたしか途中までそうだよね?いまは違うかもしらん…)(あやふや)

 

なんというか……それこそ中村文則さんの言葉を聞いてて、手作りの料理食べるときのコメントがほんとなんというか……作家だなあ、と思いました。「中村文則が小説」ってパンチある言葉で、なるほどなと。

深く深く潜る、みたいなこと言ってたけどあれほんとのほんとに作家というか、それ一本だけのひとこそやれることだなぁ……と半ばうらやましく見てました。だってあれやると途中で気持ち悪くなるんだよ……世界の境界線わかはなくなるのでほんと専業のひとしかやっちゃいかん気がする……

しかし同時に『おれさまのいうとおり』で記憶飛んだというしげあきの言葉にも深くうなずいたりして、確かにそういうときってアドレナリン出てるのか集中しまくってるのか、まさにゾーン(黒子のバスケで周知されたアレ)だと思うんですが、あれになったときにコンクールで賞もらえたりするので、記憶飛ぶのはむしろいいものだと理解しております。めったにないしね。

 

わたしの印象としては中村さんも又吉さんもネストで書くことがあまりない人だなあというものがあるんですが、そこがその、なんというか「潜る」であるのかな、と思い当たったのですよ。

『樹上のゆりかご』も、またその前身でありわたしの中での小説の構築として最高レベルかと思う『これは王国のかぎ』、どちらも荻原規子作品で一人称なのですが、どっちも俯瞰で書いてあるからすごく読みやすい。とくに『かぎ』だと、「ゾウをのんだウワバミのような」という描写があるように、実は視点が超高層にあるわけですよ。じゃないと逆に内部まで見通せないだろうなあと。

 

そういう点では『チュベローズで待ってる』も一人称ながらの俯瞰であり、そもそもその記憶吹っ飛んだという『おれさまのいうとおり』こそ究極の一人称俯瞰だな~~~~と改めて思うわけです。あれ無意識だろうと俯瞰で見下ろさないとああはまとまらないもんねえ……

 

わたし自身が「ネストで俯瞰してるタイプ」と言われることもあるせいか、どうにも上方で把握した方が筆が乗るタイプ、かつ、「その場所に降りたら失敗する」タイプなのだというのも自覚してるのもあります。

ネストするのは無自覚なんですが、例えば弾いてて記憶飛んでたりすること(これを最近は『時間のゼロ距離』と呼んでいます)とは別にやはり「そこに深みがあるのはわかる」というのはあります。
十二国記で景麒が蝕について「そこにあるのはわかる、けどあれは大変なことだからやらない」と言っていたのに似てる気もします。

 

もしかして二つの形態を持つ麒麟と、兼業(一本化できない人)というのは同種の何かなのかもしれないです。獣になりきれないという。
(これ言っちゃうとエヴァっぽいけど)

 

専業だろうが兼業だろうが、どちらも「この世の中生きづれええええ」っていうのは変わらないんでしょうけど。

日常の事象があったほうが書きやすい弾きやすいひともいるもんだよな、というのは実感しています。身体壊すくらいにww

 

まあいまならドイツ留学も行けそうです先生……
と思うけどやっぱり2秒後くらいには「あっNEWS見れなくなるの無理、本読めなくなるのムリ」ってなるから、やっぱりわたしほんとに専業ムリですねゴメンなさい!(キリッ)

ちなみわたしが勝手に即興するとポリフォニックになるのはそのパラレル的な音形が面白いからであってそこも若しかしたらネスト化してるのかもしれないです。それで言うとショパンは専業タイプだと思います……だってあの人と一体化しないとマジで弾けないもん(シューマンラヴェルだと別人のままで弾ける)。

(余談でした。)

 

兼業なら兼業の楽しさをじたんが昨日のNEWS2人で身を以て示してくれたので(バンプアップしすぎ+ただの変態焼き鳥屋さん)、くっっっそかっこいいな! ってなりました(結局それか)。ァァァァァァァうらやまーーーーー! 日常の仕事楽しんでそれで書くという苦行もといデトックスができる人生なんて憧れ以外のなにものでもないよ!!! わたしもそうなりたい!!

 

 

しかしまあ、日常の悩みから音楽からヲタクまで全部一連で考えるこのもちをの思考回路、本当やばいなと思います。でもこれも常に並行してやってきた弊害という名の賜物ではあると、……そう、

思ってもいいんじゃないかな!

 

あの日のあとがき

星の王子さま」の感想といえば他所で書いたもの以上のものはないと思ってます。ここで出す日がくるかはわからないです。(書いた用途が違いすぎるので)

 

ただなんというか、「こなくそ感」とやらはいつでもそこにあるものだけど、もしかしたらわたしはその使い方をここしばらく間違えてたのかもしれない、とふと今日思ったので、備忘として記したいと思います。

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